「子供は親を選んで生まれて来る」と言われていることについて、ちょっと書いてみたいと思います。
下のリンクはこれまで書いた「私の胎内記憶」の記事です。
「魂は死なない」という事実を、受け入れられますか?
人は死ぬと、あちらの世界で誕生します。
命日とは、あちらの世界の誕生日なので、今まで忘れていたみんなから「おかえりー!」と歓迎されるでしょう。
今世で努力して身につけたものは、来世でも上手です。
来来世に生まれる時はさらにその道の血筋の親を選び、「天才少年」なんてもてはやされたりするかもしれません。
そういう意図で親を選ぶ魂はあるかもしれませんが、大前提として人が地球で生きる目的とは「魂の成長のため」です。
ですから子供が親を選ぶ基準は「魂が成長できる相手」ということになります。
「ママの笑顔が優しそうだったから、選んだんだよ」
そんなことを3歳くらいの子に言われたら、感動してしまいます。
だけどその3歳児の「魂」はちょっと違うことを言うかもしれません。
「私があなたの笑顔を気に入ったのは事実ですが、それは一番の理由ではありません。
まず第一に、あなたのようにヒステリックな親の元で育たないと私の我慢強さが育ちません。なぜ我慢強さが必要かというと、私にはいずれ根気強く患者さんの話を聞く専門医になって全うしたいことがあるからです。
第二に、あなたのように過干渉な親じゃないと私の自立心がうまく育たないのです。
第三の理由としては、前世では体が弱かったので、今度はあなたのようなガッシリした体格の遺伝子が必要だったからです。
それから、散らかった家で育たないと、将来結婚する彼女の清潔感に好感を持つ流れにならないからです!ニコッ」
魂は成長しなきゃいけない。
そのために親も子も、成長できる相手を選んでいるのです。
何万通り、何億通りの人生を生きないと真理は学べません。
勇気を出して書きますが、虐待する親の元には、痛みや暴力について学びたい魂が来るのかもしれません。
そして一度きりの人生だと思うから、虐待された子の人生が惨めに見えてしまうのでしょう。
例えば駅で転んでしまった人を気の毒に思うのと同じで、その人は何年もその駅を使っているのに、たまたまその日は転んだだけなのです。
すべての魂は何万通り、何億通りの人生を生きて真理を学んでいる最中なのです。
時には虐待する側の人生すらも歩みながら。
金持ちを経験して、貧乏を経験して、悲しい人生も楽しい人生も経験して、そうして魂は磨かれていく。
何かを磨く時には、摩擦が必要です。
魂への摩擦の大部分がつまり、親子関係なのです。
誰もが自分の人生を設計して納得して生まれます。
どんなに小さな赤ちゃんでも子供でも、みんな人生に納得してここへ来ている。
でも、だからってそれは子供の心を踏みにじっていい理由にはなりません。
「子供はわかってて生まれて来てるから」を、親が自己中心的に生きるための盾にしてほしくはありません。
一生懸命育てている結果、至らなかったり、間違えてしまったりで生まれるのが摩擦なのだから。
光の存在を見つめるアポロ。
やっぱり猫には見えてますね〜。
「自分で納得して生まれて来る」についてもう少し。
現状で納得できないことがたくさんあるのは当然ですよ。
設定を決めたのは魂、つまり「一番高い意識」の自己だから。
今こうして生きている「体」や「心」より「魂」は高い意識なので、それは時として頭がおかしいんじゃないかと言いたくなるような試練を配置していたりします。
その試練に向き合い乗り越えると、確かに成長した自分になっている。
そんな「結果」を見据えた、いや、結果しか見据えていない采配だから「普通に考えたらこんな設定を自分にするバカいないでしょ」という現実があるのです。
おめでとうございます。
頑張って、楽しみながら生きて生きましょう♪
ファンシーキュットンくす玉♡