以前、宿ったけれど生まれてくることができなかった魂について書いた記事があります。
日々のセッションや様々な気づきを通してわかったのは、
流産してしまった子と、その後に生まれてくる子はものすごく高い確率で同じ魂だということ。
まるで、弾かれても戻ってくるボールみたいに
時期を改めて再訪してくるようです。
そしてダメだった時も、その時々にきちんと意味があるのかもしれません。
これから書くことはおそらくブログに書いたことはまだないと思います。
自死してしまった魂についてです。
これまで何かで読んできた「自死後の世界」と、私が感じているものが少し違うので
ちょっと勇気を出して書いてみようと思います。
もちろん確かめる術はありません。信じても信じなくても大丈夫です。
私が読んだことがあるのは、そもそも自死は魂の計画にないとか、エラーが起きたというようなこと。
そして自死すると暗い土の中で動けないとか、本来の寿命の時間が経つまでそこから動けない
ということが書かれていたりしました。
以前、知っている子が若くして自死してしまい本当にショックだったのですが、1年以上経ったある朝、目が醒める直前の半分意識が覚醒している時に、その子の声を聴いたのです。
その子はどうやら2歳くらいの男の子2人と一緒にいて、少々振り回されながら面倒を見ている様子。
「お〜いダメだよぉ。こっちこっち〜」
困りながらも楽しそうに声をかけている懐かしい声が聴こえました。
それは決して暗闇でも、土の中でもない明るい場所。
確かに一般的に亡くなった魂が進んでいくルートとは違いそうだったし、もちろん私たちが暮らす世界とは隔たれてる。
だけど冷たく暗い場所なんかじゃなくて、感じた通りに表現するならば
「魂の保育園」のような、温かみのあるところ。
疲れてしまった魂、頑張りすぎて負けてしまった魂、後悔している魂...
そんな魂がお互いにお世話をしたりされたりするような保養所なのかもしれません。
しばらくはそこで疲れを癒し、いつかまた生まれてくることを夢見て...。
また、自死してしまったご家族やお友達のことでセッションを受けに来てくださる方もわりといらっしゃるのですが、私が視てきた中には土の中で動けないような方は1人もいませんでした。
実際に、クライアント様を私のところまで引っ張ってきたのがまさに自死されたご家族だったりすることもあるんです。
これは宇宙や地球のことを考えると何もおかしいことはないかもしれません。
宇宙は膨張しているし、地球の生きとし生けるものはすべて勝手に成長するし自浄作用を持っています。
本来すべては良くなる方向へ動いているし、怪我したら傷は日に日に良くなるはず。
魂の視点へ立つと、老いることも成長のひとつで
その体を無事に抜けて、次へ移行するのは魂の視点では「成長」なんです。
だから人が亡くなる時、あちらの世界では祝福のエネルギーが満ち溢れるのでしょう。
そんな宇宙の摂理が自死にだけ当てはまらないのは、非常に三次元的解釈というか、人間的なエゴに感じてしまいます。
自死を選んだ魂こそ、救いや癒しが必要なのだから。
亡くなると自分のこれまでを見させられます。
その時には「相手の気持ち」も一緒に体験していくようです。
残された家族の気持ちや、お友達の気持ち。
それは土の中にいるよりもきついかもしれませんが、サポートしてくれる存在や同じような仲間もいて、学びながら助け合い、暮らしているようです。
ここ最近は自死された方についてのセッションが何度かあったので、今日の記事はそんな魂の皆さんに頼まれて書いている感じがしています。
なんとか元気にやってるから。
そちらもどうかお元気で。