アクセス・バーズの世界では「真実はいつも軽く、嘘は重い」と捉えます。
自分にとって真実じゃない他人の価値観や考え方は重く、
自分にとって「本当のこと」は軽いのです。
アクセス・バーズの世界を知ってから、本当に軽いものを選ぶようになりました。
重くなる設定を作らなくなったり、仮に重いと思ったことでも
「どうすれば軽くなる?」
と自分に問いかけ、軽く感じるところまでハードルを下げたりしています。
そうやって軽いか重いかを感じて選択していくうちに、重さには二種類あるのではないかと気づきました。
一つ目はもちろん、自分にとって真実じゃないことによる重さ。
まさに「それあなたの感想ですよね」の世界と言うか、
「それあなたの設定ですよね、私はそうではないです」という時だったり、
自分の体に合わない過剰な頑張りや、無理をしようとする時の重さです。
昭和生まれは、過剰な頑張りの重さはデフォルトだったかもしれませんね。
努力!根性!の時代でしたからね。
体を過剰に頑張らせなきゃいけない、という重さを持っている方は、
それはあなた本来の設定ではなく、きっと誰かのやり方なので
やはり少しずつでも、それを選ばないで済む選択をされていくことをお勧めします☕️
軽いものを選ぶと、軽い未来へと進みます。
あなたにとって重いものは、他の人にとっては軽いかもしれないのです。
ならばそういう人にやってもらったりして明け渡していくと、みんなが“本来の自分のもの“を持てることになるのではないでしょうか。
そして二つ目の重さ。
これはアクセス・バーズの理論ではなく、私が体感したものなのですが
それをやったら、その後に大きく影響が広がるもの
これに取りかかる行動をする時もまた少し違った重さがあるのです!
例えるなら、毛布に似てます。
寝ていて「寒いな〜」って毛布を引っ張った時に、上に猫が乗ってると重たいんですね。
それが2匹3匹なら、当然、簡単に引っ張れません。
「自分が起こす行動により未来で他者に与える影響」を「猫」とするなら、
「猫」が多ければ多いほど、その行動をするには重さを感じることもあるのではないかと思ったんです。
他人(猫)が乗っかってるから重い、というのは、一つ目の「重いものは他人のもの」と同じと言えば同じことなんですが
なぜそんなに重いのか?というと、影響を与えていく規模や要素が多いから。
何匹もの猫が乗った毛布を引っ張らなきゃいけないのなら、始めるまで腰が重かったり
本当に元気じゃないと引っ張れなかったり
猫を起こしちゃうことに気が引けて、
自分が引っ張らなければ猫たちは幸せに眠ってられるんだよなと思ったりして
行動を起こすのが重いことってあると思いませんか?
二つ目の重さが一つ目の重さと違うところは、時が味方してくることがある、ということ。
つまり、自分的には重いはずなんだけど、もう半ば強制的に進めさせられて
やらざるを得ない状況がどんどん作られていったり、
放棄しようとするとうまくいかなかったり(信頼できる人が反対してきたり)
自分でもどこかで「やるべきだ」とわかっていたり、
手伝ってくれる人が現れてものすごいサポートをしてくれたり、
そんなふうに、自分は重いはずんだけど、周りはゴンゴン運命の輪を回しにかかってくるような、そんなことが起きたりするのですね。
それはまるで流れの早い川のように、普通なら重くて進めないはずの物事がグイグイ進んでいってしまったり、腰が重くても結局やることになったりして、あれ?やれちゃったわ、なんて驚いたり。
ありませんか?そういうこと。
そういう場合、重いからと手放しても、勝手に戻ってきちゃうんですよね笑
そしていよいよ実行に移すと、やはり運勢が変わったり世界が開けたりするわけだから、
こんな変化が起きるから私の無意識はやるのを渋っていたんだな、と思ったりね。
何が言いたいかというと、重いものは他人のもの、それは本当にそうなんだけど、
その"他人"は同じ毛布に乗った運命共同体ってこともあるかもよ、というお話でした☺️
今日も、いつも、ありがとうございます。
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