自分が感じたことに対して、答え合わせのように現れる事象。
それは写真に写り込む光だったり、たまたま何かの形が見えたり。
偶然では説明しきれない体験が、生まれてから大人になってもひたすら続いているのですが、
そこにはもしかしたら意味があるのかもしれないと、今更ながら思い始めています。
ある日の夕方、たまたま見上げると木漏れ日が蝶々みたいな形になってました。
次の日、ふと見たサイトに貼ってあったイラストがこちら。
ああ、これだ。直感的にそう思いました。
フラワーエッセンスでは、蝶のエネルギーは変容を表します。
いろいろなことが変わる時なんだと思いました。
次の日、高尾山の温泉に行ったら、何度も見てるはずのこの天狗が無性に気になって思わずパシャリ。
なんだかこの前から動けず、スマホで撮った写真もしばらく眺めてしまいました。
そして久しぶりに「日本の神様カード」を引いて見ると、
たくさんあるカードの中からこちらが出ました。
昨日の夜は車で信号待ちしている間、ものすごく呼ばれた気がして外を見ると、道路脇でタチアオイが咲いていました。
これがどうにも語りかけてくる気がするのです。
三人いるな〜、と思ったけれど、あまり深く気にせず。
帰宅して神様カードを引いてみると、
ひょえええ。
「そろそろネタ尽きるんじゃない?」とたま〜に言われることもありますが、このように毎日ひとネタふたネタ起こるのですよw
何かに「何か」を感じて、そのあとに「たねあかし」のような事象。
これって、私がまだまだすべてを信じていないから「本当なんだよ」って答え合わせが用意されるのであって、
もしも私がこれまで以上に感じたものを感じたまま受け入れて信じ抜いていくのなら、宇宙からのシグナルはたねあかしの「確認用」ではなく、もっと進んだ「応用編」に進化するんじゃないのかと気がついたのです。
「感じたものを信じる」
再三ブログに綴っている言葉のひとつですが、言ってる私自身がまだまだ信じきれていなかったのかもしれません。
シンクロの例を挙げたように、感じたものが三次元で具現化して意味が繋がるから信じていた、条件付きの「信じる」だったのです。
もっとキャッチしているのに、感じているのに。
ブルゾンちえみ風に言うなら、
「三次元と答え合わせ、まだ必要?」
もうさんざん、
この世界は目に見えるものだけじゃないよー
いろんな世界があるんだよー
いろんな次元があるんだよー
いろんな存在がいるんだよー
と書いていたのに、まだ余白があったという。
子供の頃からの空間認識で、自分の周りには、マンションみたいにいくつかの階層があるんです。
上下だけじゃなく、奥にさらに部屋のような空間もあって、知覚できるんだけど肉体では見ることも触れることもできない場所。
スピリチュアルなものに触れるようになって、それがエーテル体とかアストラル体だとわかった時は本当にスッキリしました。
次元って、いくつまであるか、知ってる?
35お(もうええわ
今回私が気づきを得たのは、三次元の形を手放した先に見えたものでした。
三次元と答え合わせはできなくても、確かに別の次元には存在するもの。
キャッチしているものを全部把握してたらちょっと大変だけど、それをアートに昇華していけたなら、私は本当に幸せです。
人と共有できるようにビジュアライズすること。
それが私のやるべきことなのかもしれないと、思い始めています。
よくよく考えてみると、絵、写真、タロットワークもすべてエネルギーを視覚化する作業。
着物の講座も、その人が輝くコーデや色彩を視覚化するワーク。
肩書き、ハイパービジュアリストにしようかなぁw
次元の階層だって絵に描いたら楽しいな、と思ってイメージを膨らませてみたら、あれ?それって玄関に飾ってる、、、
必殺「もう描いていた」やつ!
この真ん中の笑顔さんは祖母がモデルです。
笑顔さんが自分だとして、
まわりには様々な世界がある。
見えるもの、見えざるもの。
すべてのことが、メッセージ。
ありがとう。