謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

大切だからこそ

 

 

この前、母に会った時に「最近また断捨離してるんだ」と言ってたんですね。

 

父との思い出のものや、家族の思い出のもので「これは大切だからとっておこう」と持ち越してきたものも最近はどんどん手放しているらしいのですが

 

「大切な思い出だからこそ、捨てていいんだ」

 

という境地に行ったらしいんですね。

 

 

本当に楽しかったから。大切な大切な思い出だから。

 

だからこそ、「物」は捨ててもいいんだ。心にちゃんと残っているから。

 

そう思えたことで手放せたと言っていました。

 

 

 

 

最近、YouTubeのおすすめに出てきたチャンネルがありました。

 

お坊さんが仏教に基づいた人生相談をされている動画だったのですが、その中で

 

「修行とは、捨てることだ」

 

と仰ってたんですね。

 

実際、お坊さんになるための修行って、大切な家族と離れ、自分の趣味や好きなことからも離れるので、まず最初にそこで手放しが行われるみたいなんですね。

 

好きなものや人から離れることは、日常の中ではそう簡単にはできないですよね。

 

だけど、自分が抱えていたいものを自ら捨てることができた時に人は成長できる、ということを仏教では説いているそうで

 

「大切な思い出だからこそ、捨てていいんだ」

 

という母の言葉を思い出しました。

 

 

物にしろ、感情にしろ、エネルギーにしろ、大切だからずっと抱えているものってありますよね。

 

だけどそれって、本当に大切だからこそ手放した方がいいこともあるのだと思います。

 

 

手放すのがつらいうちは抱えて握りしめてていいんです。

 

絶対に離すもんか、と抱きかかえてていいのです。

 

 

だけど、時間が進むように、世界が少しずつ変わるように、自分も変わるんですよね。

 

その中で「大切な気持ち」は変わらなかったとしても

 

もう握りしめる必要はなくなることもあるのだと思います。

 

 

大切なものを大切なまま、手のひらから解き放つことができた時、

 

きっと今より自分を好きになれるのだと思います。

 

 

 

 

桜って、散る時も美しいですよね。

 

 

あなたが手放せた時も、きっと美しい花びらが降り注ぐでしょう。

 

 

 

 

 

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