謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

 

他人が気づかないところまで気づいてしまう。

 

人の気持ちがわかりすぎてしまったり、状況が掴めすぎて、本来の自分の気持ちとは裏腹にその場の期待に応えることをしてしまう。

 

あるいは、わかりすぎて何もできなくなってしまう...。

 

そういうことってありますよね。

 

 

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この間、朝から温泉に行った時のことなんですが、私が入浴場から出て脱衣所に行くと、誰かのロッカーの鍵が落ちていたんです。

 

何人か気づかずに素通りしていくのですが、そこに鍵が落ちてると認識した時点で、なんだか自分の中に「気づいた人の責任」が芽生えてしまったんですね。

 

でも拾おうと思ったのですが、よく見ると体重計の前で、入り口の目の前というとてもわかりやすい場所なわけです。

 

これ下手に拾ってしまうと、落とし主がすぐ戻ってきた場合 余計なお世話になっちゃうよな、と近くで着替えながら考えていました。

 

タイミングよく店員さんが来たらいいんですけど、そういう時に限って来ないんです。

 

鍵を拾って入浴場に戻って「どなたか落としてますよー」って言う?

でももう服着ちゃったしな〜〜

コロナのご時世、人に触られたら嫌とかもあるかもしれないしな〜

あれ、でもこれ私が背負う問題だっけ??

いやでも人に親切にするのは当然だしな〜

 

なんて考えてたら、年配の方が新たに脱衣所に入ってきて、「あら鍵落ちてる」って近くの低めのロッカーの上に乗せたんです。

 

落ちてたら拾ってどこかに乗せるのって普通のことなんですけど、若干、さっきよりわかりにくくないか?とまた勝手に私が困ってしまったんですよね。

 

何となくもう鍵はロッカーの上に置かれてしまったし、私にできることは店員さんに伝えることくらいかなぁと思いつつ、脱衣所を出てフロントの方に行ったら店員さんが接客中で忙しそうだったんです。

 

で、鍵に対して何もせずに温泉を出ることになってしまったんですけど、自動ドアが開いて外へ出た瞬間、

 

 

「鍵と、落とし主を信頼しよう」

 

 

という結論が出たのです。

 

 あの鍵はすごいやり手で、どんなに落とされても主張できるキャラクターなのだ

 

落とし主はついてる人で、困ったことが起きてもいつも事無きを得るのだ、と。

 

 

問題を解く鍵は「信頼」だったというわけです。鍵なだけにね🗝

 

 

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感じとってしまう人が、感じとることしかできず無力感に苛まれる問題について過去にこちらの記事👇で書いていますが、

 

そういう人は祈ることがお役目なんです。

 

 

funcyqutton.hatenablog.com

 

 

「祈る」とは、相手の幸せや平和を祈ることだけではなく

 

「この人は乗り越えられる人なんだ」という目で見てあげること も祈りの一種なんです。

 

「心配」は「呪い」の一種でもあるのと同じように。

 

 

 

見えてるのに何もできなかった

 

気づいたから行動したけど変な目で見られて悲しかった

 

そんなことも時々お聞きします。

 

 

何もできなかった時は、お相手を信頼してあげてください。

 

行動して後悔した時は、それが無駄じゃなかったことを信頼してください。

 

そしてたくさん自分を褒めてあげてくださいね。

 

 

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温泉から帰宅してからセッションが入ってたんですけど、その辺りの気づきがかなり関わってる内容だったので、やっぱり全てはCloudみたいに繋がって宇宙で共有されてるなぁと思ったのでした。

 

そうそう、いつもセッション前の時間にブログを書くと、だいたいその後のセッションはブログ内容とリンクしてるんですよ。

 

でもそれって私が内容をキャッチしているように見えて、実は私の気づきを皆さんがサポートしてくださっていたり、クラスメイトみたいに違う角度から一緒に同じ課題に取り組んでいるのかもしれないなと思うんです。

 

本当にいつもたくさんの方に助けられているなぁと感謝です✨

 

今日は雨ですが暖かくしてお過ごしください☕️

 

 

 

 

 

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