秋分の日は、昼と夜の長さが同じになる日。
陰陽のバランスが中庸になる時間です。
すべての外側のことと内側のことは繋がっているので、自ずと私たちのバランスも中庸にリセットされるのだと思います。
陰の強い方は、陽の部分が
陽の強い方は、陰の部分が
ここ数日でひょっこり自分の中から現れて、少し戸惑うかもしれません。
私は秋分の日の二日前に夫の治療を受けたのですが、その時点で久しぶりに会う自分が出てきました。
「あれもイヤこれもイヤ」な自分です。笑
どこのお家もそうだとは思いますが、うちはアクの強い3人暮らしなので、ある程度感覚を曖昧にしないと関係性が成り立たないんですよね。
そんな許容能力が中庸にバランシングされた結果、「あれもイヤこれもイヤ」が登場w
特に子育て期間はずっと、ストレスを溜めないために
「細かいことは気にしない。許し・許されているのだから」
をスローガンにしてきたので色々なことを許容し合っていました。が!
もうどうしても、夫のやりっぱなしの未完成DIYがイヤ!!
夫のいびつな襖の修繕がイヤ!!
という気持ちがもりもり宿便のように溢れてきて(きたなくてごめんなさいね)夫と話し合いました。
まずひとつ、秋分の日もあるかもしれないけど、皮膚の治療をしたから境界線に敏感になっているというのが夫の見解で。
皮膚イコール他人や世界との境界線です。
魂は「すべてはひとつ」だったとしても肉体は物質なので境界線があります。
それを外側に投影させた象徴として襖が気になって仕方ないのではないかと。
特に、今やセッション部屋となっている和室の襖なので、「自分のテリトリーに夫の修繕や息子の開けた穴がある」という境界線の侵略が、治療により動いた私のシステムに引っかかったのかもしれません。
引っかかるのは、そこに「何か」があるからです。
ヒントかもしれないし、答えかもしれない。
気になるのは自分の内側の投影だから、今は襖と向き合うことで自分と向き合うことになる。
お金を出して張り替えてもらうのは一番いいけど、その前に優先すべきことがたくさんあるし、お金で解決は芸術家としてある種の思考停止でもある。
どうしたい?どこがイヤ?こうしたらどうか?それもイヤだ。
そんな風に襖と向き合うこと1時間。
これなら自分でできるし、イヤじゃない!という解決策に辿り着けました〜。
最終的にはやっぱりアート。
イヤなことって生きていればたくさんあるけど、イヤなことがイヤじゃなくなるのってとても重要。
他者の行動が悪いからイヤなのではなく、何がイヤなのか?どんな風にイヤなのか?
そこを追求していくと、その道のゴールにはだいたい自分がいるんです。
結局のところ、やっぱり世界は自分次第。
襖が無事に生まれ変わったら、またご紹介させてくださいね♪
襖だけに、次の扉が開いちゃうかもなー。なんてね。
そんな流れで今日は本を大量に断捨離しました。
皆様も良い秋分の日をお過ごしください。
↓ 去年も断捨離をしていたそうです。笑
HP
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