変態論
このブログはあくまでもオカルト&ミステリーブログだと思っているので、いろいろなテーマを取り上げていきたいと思っています。
というわけで、2016 衝撃だった体験をもとに、変態性について私が思うところを書いてみたいと思います。
人の数だけセクシャリティが存在する中で、誰もが多少の変態性を隠し持っているのは、当たり前のこと。
たとえば人に裸を見られたい変態性を持った人がいて、ヌーディストビーチや混浴の温泉に行くのはセーフであって、
道行く人に見せるのはアウトなわけですよね。
たとえば私はある時、女の子に押し倒された経験があるんですが、
その子がレズだったことに問題があるのではなく、私の感情を無視してセクシャリティを押し付けたことが問題なわけです。
この辺りがマイノリティの勘違いしやすいところかなと思うのですが、
自分のセクシャリティを拒絶された時、否定された時、嘲笑われた時っていうのは、
『あなたの性癖が否定されているのではなく』
『アウトプットの仕方に問題があった』
それだけのこと。
彼女の恋愛対象が女性なのに対して、私の恋愛対象は男性だから噛み合なかった。
でもそれを押し付けられたから、拒絶反応を示した。
つまり『私の拒絶反応』に関して、究極、彼女のセクシャリティは関係ないのです。
そこを見誤ると、社会を恨んだり、無意味な開き直りが生まれてしまうのでしょう。
大事なのは、自分を満たすために相手の尊厳を踏みにじっていないか?という配慮。
これがレイプやロリコンだと誰が見ても善悪がはっきりわかるところなんですが、
マイノリティのセクシャリティだと、いきなり意見がふたつに分かれるわけです。
「誰にでも人に言えない性癖はあるよ」
「男ならよくあること」
「たいしたことじゃない」
そんな意見が出るのも仕方ない。価値観も人の数だけあるのだから。
「自分にだって言えない性癖がある」という後ろめたさから、擁護したくなる気持ちが生まれることもあるでしょう。
ただ何度も言いますが、『性癖』が問題なんじゃなく、『アウトプット』に問題があるんだというお話がしたい。
『目的』が問題なのではなく、『手段』に問題がある。
犯罪に繋がる性癖をピックアップしても、
『性癖』そのものが犯罪なのではなく、『実行』することが犯罪なわけで。
そこが『変態性を持った人』と、『変態』の分かれ道なんじゃないでしょうか。
時代とともに多様化していく変態性も、お互いに配慮しながら思いやりながら、うまくアウトプットしていける世の中になればいいなあ〜なんて思うのでした。
ところでこれすごい。
一つ重大なことを言い忘れていた。決して異常性癖を持つ人を軽蔑してはならない。何故かって?あなたもそのうちの一人だからである。(本文より)
カフェイン中毒も性癖ですって!
というわけで、去年、息子のクラスで流行ったセリフで締めくくりたいと思います。
『変態は〜〜〜〜〜〜〜
キッミだあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!』
友人に盗撮されていたtwinkleがお送りしました。
ジャンっケンっポンっ
また見てね〜!