謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

ダヴィンチ「最期の晩餐」のもうひとつの意味

まさかイブにこの内容を書くことになるとは笑

 

息子に「書かなきゃいけないみたいだからちょっとパソコンに向かうね。」と言ったら、「がんばって。母ちゃんがんばって書いて!」となぜか一生懸命応援され、お茶まで淹れてくれました。

こんなこと初めてだー。

 

何の話かわからない方には、今回の記事はすみません。

今、たくさんの人が思い悩んでいる『ある現象』について、現時点での私の見解を書かせていただきます。

 

その名称を出さないのは私のこだわりです。

 

 

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ただ事じゃないシンクロニシティが雪崩のように起きまくり

数字はぞろ目ばかりを奏で始める

瞳の中の瞳に気づき

夢じゃない夢で遊ぶ

 

テレパシーでの会話

実在するテレポーテーション

 

圧倒的に越えられない壁

 

霧の中の追いかけっこ

 

その先で粉々に砕け散る

 

 

 

どれだけのブログを漁っても絶対に出て来ない答え

 

強烈な想い故に、まわりを不幸にしてしまうこともある

 

 そうしてプログラムは失敗に終わっていく

 

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キーワードは『謙虚さ』にある

 

それは、世界と、不滅の魂への信頼で成り立っている

  

あくまでも『魂スパルタ強化プログラム』であり、ずぶずぶの色恋沙汰では決してない。

 

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すごい体験をしました

ただならぬ縁があるんです

世界がまったく変わってしまいました

私は選ばれたのかもしれません

成就させることが、地球の救済になるのでは...!

 

 

 

と、それだけドラマチックな奇跡を使って、試されているとしたら?

 

 

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それだけの体験をしても、ちゃんと現実を生きられているのか?

奇跡を目の当たりにしても、今までのものを変わらず大事に扱えるのか??

 

 

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そのプログラムに翻弄されるかされないか、むしろそこから試されているとしたら?

 

なんて考えるのは邪推しすぎかな?

 

 

こんなありえないことが起きた、こんなメッセージが来た、と『現象』にフォーカスしているうちは、いつまでもいつまでも魔法のようなシンクロが続いていくだけで一向にゴールが見えないのです。

 

甘い夢は、いつまでも続きます。

 

 

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3次元を越えて、5次元で繋がり、それをさらに3次元に落とし込むことの意味

 

たとえば、落とし込まれた3次元で現れた相手が、まったくの『違う人』になってても...

 

気づくことができるかな?

 

 

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これはダヴィンチの「最期の晩餐」。有名な絵です。

 

キリストは、もうじきユダが自分を裏切ること、自分が死ぬこともわかっているところを描いた絵だと言われていますが、まったく解釈の違う、もうひとつのストーリーがあるんです。

 

それは、『キリストが一度死んでから復活した場面を描いている』という説。

 

 

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人々が驚き、ざわついているのは、死んだはずのキリストが現れたから だけではなく、その姿がなんだかどうしてもキリストに見えないから、混乱しているのです。

 

なぜかと言うと、本物のキリストの体は心臓を貫かれて再起不能な状態だったため、キリストは弟の体を借り、弟の体に入ることで、復活できたのです。

 

だから、キリストなんだけど、何かが違う!?

 

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とてもよく似ているし、醸し出すオーラはキリストそのものなんだけど...でも!

 

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見極めようとしている、そんな心情を描いていると思ってもう一度この絵を見ていただくと、ひとりだけ、ゆったりと落ち着いている人がいます。

 

キリストの左側にいる、白ひげの男性の話に耳を傾けている人。

 

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これは通説ではヨハネだと言われていますが、実はこの人こそがマグダラのマリア

 

マグダラのマリアとキリストは魂の双子なので、マリアにはそれがキリストだと確信を持って「わかる」のです。

 

 

姿が変わっても、まったくの別人に宿っていても、そこにキリストの魂がいると、疑いようもなく、わかるのです。

 

これが、3次元を越えた5次元で繋がり、3次元に落とし込まれたという一例。

 

つまり、とてもぶっとんだことを言いますが(今更)、

再会や統合は「別人の肉体」として起こることもあり得るのです。

 

たとえば

 

相手の魂が、生きながらにして、あなたと別の人との間に産まれる子供に宿る可能性は?

 

 

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聖母マリアの処女受胎の意味

 

 

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それどころか、その人の魂の宿った先が、

 

『花』だったとしたら、どうしますか?

 

 

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では、『猫』だったら?

 

 

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それが、自分が再会を願っていた相手なのだと、気づくことができますか?

 

そのくらい、感性を柔らかくしないと突破できないプログラムかもしれません。

 

 

いや、その人は死んでないし、と思いますよね。

 

もちろん生きています。でも、生きたまま魂が移動することもあると仮定して

 

多次元を生きるって、そのくらいのミラクルなんじゃないでしょうか。

 

「3次元的執着を手放す」という言葉の意味。

「容れ物」に固執して、魂を見失っていないか?

 

 

息絶えたキリストの肉体(3次元、容れ物)

弟の体に宿る、復活したキリスト(5次元を越えた先の3次元、魂)

 

 

なぜ霊的覚醒が必要なのか。

これを感覚として捉えるには、それが必要不可欠だから。

 

なぜ愛の拡大が必要なのか。

本質を捉えるためには『すごいこと』に振り回されない『謙虚さ』が必要不可欠だから。

 

自分の人生を聖母マリアに捧げたベルナデッタのように。

 

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とりあえず今日はここまで〜。

 

目の前のことを大切に扱ってください。

自分から一番近い人から大切にしてください。

 

あなたの子供神様は笑っていますか?♡

 

メリークリスマス♪

 

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