謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

大切に扱うこと

 

 

久々にnoteも更新しました〜。

 

 

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本当にやりたいことって、それに関わる道具や工程を本当に大切にできるものですよね。

 

先祖の日本画家・橋本雅邦にまつわる本を読んだ時に、ある庭師についてのエピソードが書いてありました。

 

雅邦の自宅には丹精込めた庭があったそうで、その庭の管理は一人の庭師に託されていました。

 

雅邦は「庭木のことは専門家に任せておけばよい」と、口出しすることもクレームをつけることもなかったそうです。

 

ところがある日突然、庭師は解雇されてしまいます。

 

その理由は、雅邦が庭師の“ある光景を見てしまったから“

 

 

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一日仕事をしていた庭師が最後に散らばっている枝を集める時に、道具でも手でもなく

 

足で集めていた姿を見て、もうこの人間に大事な庭は任せられないと思ったらしいのです。

 

雅邦曰く「手ですることを足でするようになっては、信用することができない。人が見ていないと手を抜いたり横着する者に、大事な仕事ができるはずがないのだ」

 

 

...身につまされるお話ですよね。

 

2020年の仕上げに向けて、やっぱりこういう矛盾はなくしていきたいものですね。

 

人間誰しも気が緩んだり、横着してしまうことってあると思いますが、

 

やりたいことにまつわるものを大切に扱えるかどうかって、本当にやりたくないとできないところもあるんじゃないかと思うんです。持論ですけど。

 

若い恋愛とかで例えるとわかりやすいと思うのですが、本気で付き合ってるお相手だと、その恋人の友達や家族も大切に扱えるじゃないですか。

 

でも本気じゃないと誕生日とか記念日とかめんどくさいって思ってしまったり。

 

 

だから、古いカルマでやっていることとか、本来の自分がやりたいわけじゃないことって、ちょっと横着してしまったり、雑に扱ってしまったり、するのかもしれないなぁ。

 

なんて思うのでした。

 

ちなみに私は占いにまつわる道具は本当に大切にしているのですが、そうなってみて気づくのが、絵の道具はここまで大切にできていないかも、ということ。。

 

もちろん絵の具を足で蹴ったりなんかしませんが、想いの強さが違うなぁと当社比で感じたのです。

 

今の私が占いに向けている情熱より、過去の私が絵に注いでた情熱の方が熱く激しかったはずなんですけど、やっぱりそこには様々な重いもの(例えばプライドとか自己証明とか)が乗っていたので、自己愛や自己信頼も今より低かったし、そうなると当然モノに対する愛情も薄かったはずですよね。まぁ若かったなぁ。今もまだまだ未熟ですけど。

 

でもね、私が使ってる筆洗バケツ、実は小学校1年生の時から使っているものなんですよ〜。

 

あれ?意外と大事にできてるのかも?

 

 

 

 

 

 

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