先祖のカルマを超えて
いよいよ明日からNYでの展覧会が始まります。
偶然にも開催初日が9.11
私は当時付き合っている人がアメリカに住んでいたので、信じられない気持ちでテレビの映像を見ていたことを思い出しました。
犠牲となった魂も、残された人も、心の痛みが和らいでいきますように。
そんな平和の祈りを込めて描きました。
もしNYにお住いの方がいましたら、ちらりとチェルシーのPLEIADES GALLERYへお立ち寄りいただけると嬉しいです。
今回描いた2枚は、先祖である橋本雅邦へのオマージュです。
橋本雅邦は、控えめに言っても偉大な画家。
偉大であるが故に、その後の子孫たちにとっては「超えられない壁」として君臨していました。
(これはただの恥ずかしい話ですが、私はアッパラパーな10代20代を過ごしたので、橋本雅邦について ほぼ何も知らず「壁」に苦しむことなく呑気に絵を描いていました。。)
NYのアートチームへ誘われる直前、父の形見のカメラが壊れたんです。
写真ではなく絵を描けという父のエールを感じました。
私は宇宙のプログラムに導かれ霊性開花していく中で、橋本雅邦という存在に先祖代々のカルマを感じました。
雅邦以降、先祖や親族には何人も絵の道を志した人はいるのですが、おそらく真面目に向き合えば向き合うほど、己と雅邦との差を感じずにはいられない。
その圧倒的な差を、超えることができない。
私はこの先祖代々のカルマを昇華したくて、あえてオマージュを選びました。
「Dragon and Cat」
橋本雅邦の作品で一番有名な「龍虎図」を、龍と猫で表しました。
猫のモデルはお隣のミイちゃん。
「龍虎図」は高校時代に社会科の教科書で見たのに、アッパラパーだったのでことの重大さがわからなかった...!
「Benzaiten Cat,the Goddess of good fortune and abundance,on the Dragon」
こちらは「騎龍弁財天」という作品のオマージュ。
龍に乗った弁財天を白い子猫にしました。表情のモデルは言わずもがなアポロ先生。
さて、これでどうやってカルマを超えるのか。
そもそも「苦悩」というのは「他者との比較」により生まれます。
私は今回の作品で、己の力不足をかなり味わいました。
だけどそれは私が「描きたいもの」「表現したいこと」に対する未熟さ。
自分の中のイマジネーションに対する力量不足。
けれど同時に、あ、これは毎日描いていたらもっと伸びるなとも思えたんです。
そして昨日より今日が、今日より明日が、もっと描きたいように描けるんだと嬉しかった。
その小さくても確かな進歩を見ずに稀代の天才と比べて落ち込んでたら、
運気が落ちるだけ!!!🙅ダメージダメージ
(わかる人いるかな。DA PUMPね)
同じ血縁上に居たって、究極の話、魂の出身はバラバラなのだから。
「同じなのになぜ」と思うから惨めになるんです。
他者と比べ続ける限り 苦悩からは抜け出せないけど、
昨日の自分と比べ続ける限り、進歩と成功の連続。
たまに後退するかもしれないけど。笑
そう思うことで、超えていける。
真面目に絵の道に進まれた先祖たちは、今頃生まれ変わってまた絵を描いて受賞なんかしているかもしれないし、インスタで大人気かもしれない。
今世 頑張って習得したことは来世でも引き継げるんですよ。
だからもしかしたら橋本雅邦は3000年間くらい、生まれ変わる度に絵のスキルを磨いてきたかもしれない。そんな修行をしたら、すごい画家になるだろう。
そして彼は橋本雅邦としての人生も、ものすごい努力家だった。
真冬に、家と外を隔てるものはたった一枚の障子だけだった時代に、薄い着物一枚で火鉢にもあたらず描いていたと祖母が言ってました。
私はこたつで温まりながら描くし、真夏はエアコンの中で描きます。
それはそれ、これはこれ。彼の設定と、私の設定が違うだけ。
「比べる」は「苦」のラベルを貼ること。
「差」を取るから「悟り」に至れる。
誰も雅邦のようには描けない。
だって、雅邦のような絵はもう雅邦が描いちゃったんだから、描く必要ないよね。
カルマを超え、絵を描ける喜びの感謝を伝えたくなったので、展覧会前にお墓参りへ行ってきました。
ネットで調べたら名所のように行ってくださってる方もいましたが、橋本直系のお墓なので祖母の両親や兄弟も入っています。
台風のせいでしょうか、上の丸石が落ちていました。これをちゃんと元に戻せただけでも来て良かった。
写真の上半分がなんだか霞みがかってる?
墓所を出る時に最後振り返ったら、嬉しそうなエネルギーでした。
面白い街、清澄白河。
やっぱり雅邦さんはすごい人だなと思ったのは、帰りの電車の中で龍の絵のオーダーが入ったこと。
返礼品、早っ!
そして学童から16時に帰ってくる息子の帰宅に全然間に合わず、どうしようかなと思っていたら学童の先生から電話がきて、
「すみません!うっかり16時過ぎてるのに遊ばせたままでした!今から帰しますね!」
と言われたので、それならお迎えに行くので待機させてください、助かります、という流れに。
しっかり管理してくださってる学童で、こんなことは初めて!
「今日は遠くまで有難う。慌てずに帰ればいいさ。」
そんな風が吹いていました。