続きです。
私にとってタロットは一生かけて掘り下げていけるものだと感じているので、「まだまだ先は長いぞ」と思えることもワクワクしていられるのですが
絵に関してはいつもどこかで逃げたい気持ちがあって。
本気だからこそ、逃げたくなる。
お互い好きな気持ちを隠してるような、お互い素直になれないような、そんな関係性なのです。
絵は私を安心させてくれるようなものではなく、私が自分の殻を破ってエネルギーを放てた時に初めて
「よく頑張ったな」
とようやく微笑んでくれるユーリ・ミロノフ先生みたいな存在。
だからタロットと同じように「まだまだ先は長いぞ」と感じても、それは果てしなく続く沼のような道で。
若い頃から絵と向き合ってきて、私は天才じゃないけど「続けていける才能」ならあるかもしれないからと、積み重ねることに重きを置いてきました。(でも言うほど積み重ねてないかも、、)
そうしてずっと自分の不甲斐なさと対峙してきたから、いつか「私にはこれだったんだ!」と思える別のものが登場して解放してくれないかと密かに願っていたりしたので、相思相愛だと思えるタロットの登場が本当に嬉しかったのです。
今月ロンドンの展覧会に参加するのですが、それが終わったら絵のことはひと段落させて手放して、タロット一本に集中したいなと少し前に考えていました。
絵と向き合うことは自分と向き合うことだから、もう終わりにしたら楽になれると思ったのです。
その頃、普段あまり使わないスプレッド(展開法)をなんとなく試してみたんですね。
シンプルに「今の私に必要なメッセージをください」と。
裏面の模様を合わせていく「運命のスプレッド」は、すべてがアートです。
そうしたら「このバカタレがぁ!!」とダヴィンチ先生に思いっきり叱られてしまいました。
お前はどちらの仕事にも敬意を払ってるか?
絵のことをどれだけ軽く見積もってるんだ?
お前がタロットをうまくできるのは絵を描いているからだと知れ。
絵を描くことでタロットができ、タロットをやることで絵が描けている。
そうやって物事は回っているのにお前ときたら何たる短絡思考...
今のお前に足りてないものは、想!像!力!だああああ!!
バーン!
絵のことを聞くと大体このカードが出るのですが、これはデッキ唯一のダヴィンチ先生自画像なんで、毎回励まされたり叱られたりがとてもダイレクトな感じなのです。
深く愛したいから、怖い。逃げたい。
私はどのお仕事も心を込めて最善を尽くしてますが、 「自分」からは逃げようとしていたのかもしれません。
絵や着物のお仕事をさせていただくことでタロットがうまくできるということは
つまり私にお仕事を依頼してくれたり、こうしてブログを読んでくれたり、私に関わってくださる「皆さんのおかげ」ということだったんです。
才能はあるかもしれないし、ないかもしれない。だけどそんなことは、実は本質的には全然関係なくて
人に対して放ったものや、仕事の中で放ったもの
愛を放てば「愛の形」として才能が育ってゆく
だから相思相愛という現象が起きるのです。
人の中で生かされている
人の中に自分がいる
あらゆる人のおかげで自分が成り立っている。
誰かのために働きかける、何かに対して働きかける
そこに導きがやってくるということ。
才能がある人に愛を開いた人が多いのは、愛を開いたから才能を授けられたということ。逆なんです。
一番得意なことをやればいいや、じゃなかったんですね〜。
例えば本業の他にアルバイトをしていると、一本に絞りたいと感じる方って多いと思うんです。早くこれ一本で食えるようになりたい、って。
だけどそのアルバイトでの働き方が本業の「才能に影響する」という宇宙のすごい秘密。知っていましたか?
実はそこで才能を育てる、才能貯金をしているのです。
自分の本業やメインステージじゃない場所でどれだけ愛を放って才能を育てることができるのか。
宇宙と両思いになる方法のひとつです。