謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

私の世界 6.魂の光

社会のシステムというものはどこまでも限りなく、体験しないと知る機会がないものはいくらでもありますね。

 

例えば、霊安室へご遺体を運ぶ専用の人がいること。

霊安室ではお線香の代わりに、白い造花のお花を手向けること。

 

私はようやくみんなに、父の最期の言葉を伝えることができました。

父がそんなに言葉を話せたことに、誰もが驚いていました。

 

私たちが全員献花を終えると、今度は担当してくださってた看護師さんや医師の方がひとりずつお花を手向けてくださいました。

その光景が、ともに頑張った父を讃えてくれているようで、胸がいっぱいになりました。

 

父の魂は、すぐ近くでその光景を見ていました。

そこに、黄色やオレンジ色の光を感じたのです。

 

 

 

父の体は葬儀を行う斎場の安置室へと移送されることになり、母は父が運ばれる車に一緒に乗り込みました。

私は夫に息子を託し、自分の車で後ろをついて行きました。

 

外はもう暗く、小雨がフロントガラスで街灯の灯りを滲ませていました。

道は混んでいて、車はゆっくり進んでいきます。

 

ふいに、車に接続していたipadから、〔.que〕のairという曲が流れてきました。

 

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この曲を聴きながら雨の道路に乱反射した信号の色彩を見ていたら、急にぼろぼろ涙がこぼれてきました。

 

父を見届ける任務と、父に母を託されたことで私はある種のハイになっていたのか、それまで泣いていなかったのです。

 

勝手に涙がぼろぼろと流れながら、父が言い残した言葉の違和感が、この時始めてわかったのです。

 

これまでの人生、父は別れ際にはいつも「じゃあな」と言っていました。

それが、「さよなら」と言った。

 

 

ほんとうのお別れだと悟ったから、「さよなら」という言葉を使ったんだ。

 

 

父が娘に使った最初で最後のその言葉の意味に、価値に、深さに、私は泣けて泣けて仕方なかったのです。

 

 

前方の父と母が乗っている車を見ると、母の横にオレンジ色の光が寄り添っていることに気づきました。

父です。そんなにも一緒にいたかったんだ。離れたくないんだね。そう心の中で話しかけると、その光はすうっと私の方へやってきました。

 

照れくさそうに笑う父が私の頭上、左上の方に現れ「いろいろ、ありがとうな」と言いました。

 

「もうどこも痛くない?」

 

「もう全然痛くないな。」

 

「良かった。何かママに伝えて欲しいことはある?」

 

「あんま、クヨクヨすんなって。」

 

「わかった。伝えるね。」

 

 そんな会話を交わすことができました。

 

斎場についてすぐ、待合室で母が言いました。

 

「仲直りとかさ、あの事を謝りたいなとか…逆にあれはきちんと謝ってもらいたいとかって、生きてるから、出来ることなのよね。

生きていればいつか、そういうきっかけやタイミングがあるじゃない?

でも死んじゃったらそういうの全部できないから...あの時こう言えば良かったなとか、こうしていればとかばっかり、考えちゃうのよね…」

 

クヨクヨすんなって、このことだったのか。

私はすぐに、先程の父とのやりとりを伝えました。母は、

 

「なんか、そう言ってもらえると...気がらくになるね。でも今はちょっとクヨクヨさせて〜」

 

と言って泣き笑いしていました。叔父もその場にいたけれど、伝えられて良かった。

 

 

こういうのって、すごく勇気がいるんです。

 

 

こんな時にふざけてると思われるんじゃないかとか、頭がおかしいと思われるかなとか、怒り出す人だっているかもしれない。

 

でも、肉体を失った人の言葉を聴けるのがここに私しかいないのなら、それはどうしても届けてあげたいのです。

たとえひとことでも、それを聴いて救われる人がいるのなら尚更。

 

 だから私は怖さを乗り越えて、今日も言葉を紡いでいます。

 

 

 

見守ってくれていたガブリエルは、メッセンジャーとも言われているようです。

 きっと父だけじゃなく、私のことも守護してくれていたんですね。 

 

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2008 Live painting with 倍音s 白い画廊ポラン