謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

キーワードは。

 

以前書いた「あの人達」について。

 

funcyqutton.hatenablog.com

 

 

今も定期的にいろんな人が登場しますが、この頃は電車でうとうとした時や、ちょっと横になった時にも出てきます。

 

人間みたいな人もいれば、一応ヒト型だけど人間とは似ても似つかない姿の人、緑色の人、様々です。

 

 

最近会えたのはこんな感じの人で、もう少しひょっとこみたいな顔で緑色でした。

 

 

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この人に会えた時、なぜかものすごく懐かしくて嬉しくなりました。

 

久々にこの種族を見た、というか。

 

20年ぶりにサンリオショップに行ってハンギョドンに会った、みたいな感覚。

 

 

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「やばい!ちょー懐かしい!ちょー懐かしい!」

 

と、その人を見てテンション上がっている私に、少しブルース・ウィリスに似た人が話しかけてきました。

 

 

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彼は付き合いの長い友人で、私のこともよくわかっている感じでした。

 

「(その種族に)会えて嬉しいのはわかるけど、ここで会ったこと覚えていられるの?」

 

ウィリスは言います。

 

「大丈夫!忘れる気がしないよ!」

 

私は答えます。

懐かしい人々を見渡して興奮気味の私を、ウィリスはしばらくじっと見てから、

 

 

「でも名前はいつも忘れちゃうくせにね」

 

 

と言いました。

そんなことないよ!と言いかけて、私はその緑色の種族の名前が言えないことに気がつきました。

 

 

あれ?待って待って、、思い出せない。

 

思い出せないと言うより、私は「知らない」。

 

 

やだ!忘れたくない!と思い、友人であるはずのウィリスの顔を見る。

 

大丈夫、言える。この人の名前は、、

 

ウィリスは少し悲しそうな、それでいて慣れているような顔で私を見ました。

 

「ほらね」と言いたげな顔が、だんだん消えていきます。

 

ああ、私はこの人の名前を「知らない」。

 

 

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そして目が覚めてしまう。

 

キーワードは「名前」。

 

 

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相手の名前を言おうとしたり、覚えていようとしたり、「名前」にフォーカスすると必ず一瞬でその場のことを何もかも忘れてしまうのです。

 

覚えているのは、よく知っている場所へ行ったこと、よく知ってる存在達に会ったこと、その事実だけ。

 

毎回、つい覚えていたくて「名前」にフォーカスしてしまうと、弾かれて現実世界に戻される。

 

毎回なんです。もう30回くらいは、と書こうとしたのですが、もしかしたら毎晩なのかもしれない。。

 

 

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とてもよく似た内容の映画が空前の大ヒットでしたが、私からするとあのタイトルはまさにその世界での禁句。

 

君の名は。」というのは現実世界へ弾かれるキーワードです。

 

名前のことを尋ねてはいけない。

 

名前のことを考えると目が覚めてしまうから。

 

 

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私はいくつかの世界を同時に生きている。

 

本当はきっと誰もがそうなんだと思う。

 

 

 

この世界でぶつかり合う人が、他の世界では形を変えて兄弟なのかもしれない。

 

仲良い友達とは、他の世界では祖母と孫かもしれない。

 

他の世界では魂の伴侶なのに、この世界では離れてお互いの任務に奔走しているのかもしれない。

 

この世界ではもう肉体を持っていない人が、他の世界では元気に楽しく暮らしているかもしれない。

 

他の世界では子供の頃の家族の団欒が、何も変わらずそこに在るのかもしれない。

 

 

 

私たちは何も失うことはないのかもしれない。

 

ただちょっと眠りが深いだけで。

 

 

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 いつか目を覚ましても名前を覚えていられるかな?

 

 

 

 

 

 

獅子は月見て何想う

 

久しぶりのキャンプに行ってきました。

 

 

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湖で泳ぎながらスマホで撮った一枚の写真に、私は既視感を覚えました。

こちらの写真です。夫を撮ったもの。

 

 

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なんだっけこれ?

 

あ!あれだ!昔ライブペインティングで描いたやつ!

 

 

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ポーズは違うけど、似てませんか?

 

この絵はこの場所のことだったんだなあ。

描いた絵がタイムラインと重なるまで9年くらいかかりました。

 

 

そして今日は満月であり、ライオンズゲートが開く日とも言われていますが、昔描いた絵の中からぴったりなものを見つけました。

 

6年前くらいの絵かな?

 

 

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獅子は月見て何想う

 

孤独な荒野で見上げた月に、ひとすじの光

 

何もないと思っていた場所で、新たな天啓が降りる

 

何もなかったのではない

 

何も見ていなかっただけ

 

からっぽになった手のひらの中で、それこそが完成形だと気づく

 

これまでの時間、自分自身への信頼を深めてきたからわかること

 

何もない

 

つかまるところもない

 

それこそが完成形

 

 

 

8月8日 Happy new world

 

 

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ライオンの絵を見てたら降りてきた言葉です。

 

なんだか楽しみですね。GOGO〜!

 

 

東京アートDAY

 

昨日はお昼過ぎに代々木で用事を終え、次の予定が夕方に高円寺での待ち合わせだったので、それまで何か展覧会でも行こうと思い検索してみると、、、

 

 

まさかのダヴィンチの展覧会を発見!

 

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レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

 

 

ダヴィンチ・タロットを使うまではレオナルド・ダ・ヴィンチあまり興味を持ってなかった私ですが、毎日のようにカードと戯れていたら、原画が見たい!と思うようになりました。

 

原画を見て、本物のエネルギーを感じたい、と。

 

 

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だから一番見たい人の展覧会がやっていたわけで、もうすごいテンアゲでしたw

 

場所は三菱一号美術館。

 

 

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洋館が大好きな私は、またまたテンアゲ。

 

今回はダヴィンチとミケランジェロの展覧会で、油絵も少しはあったけどメインは素描(デッサン)。

 

天才ふたりの素描展、素描対決みたいな感じ。

 

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これもまたシンクロ運命的で、タロットの絵柄は全部素描のものなので、私にしてみたら

 

「タロット原画展」だったわけです!!

 

もうねもうね、どれもこれもいつも見ている絵なわけですよ。

知ってる絵ばかりなわけですよ。

その原画!生のエネルギー!生ダヴィンチ先生!!(握りこぶし

 

 

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面白かったのは、どちらも素描の絵なのに、パッと見て区別がついたこと。 

 

絵の知識ではなく、エネルギーが全然違うんです。

 

私はどちらの歴史的なことも作品に関しても、お恥ずかしながらほとんど無知なので、これはあくまでも感じただけのことなのですが、

 

ミケランジェロは好青年で、家族を大切にするような人。

 

物事の見方にも優しさや礼儀、公平さがあって、親切。フェミニスト

 

芸術に対してまっすぐの優等生。

 

 

対してダヴィンチはちょっと変態的で変わり者、闇の組織や呪術にも関与していたんじゃないかな?と感じてしまう何か。

 

ふたりは同じ時代に生きたとはいえ20歳くらい離れていたので、世代的なものはあるにせよ、紙に乗っているエネルギーの質の違いは明白でした。

 

どっちがいいとか凄いかではなく、宿しているものの違い。

 

とっても見応えのある展覧会でした。品質管理のため、めちゃくちゃ冷房効いてるので暑い日におすすめです(そこかいっ

 

 

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からの、高円寺キタコレビル Garter galleryでのchim↑pomの展覧会!

 

 

bijutsutecho.com

 

 

前回の歌舞伎町の展覧会での作品を解体したものを、さらに展示した展覧会。

 

前回の展覧会ではネズミさんの怨念を念写してしまいましたが、今回はカメラは持っていなかったので何も起きませんでした。

 

前回はこちら。

 

 

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今回はスマホ写真ですが、スーパーラットもいましたよ。

 

 

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パルコのPとCも展示されてます。

 

 

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そしてそして、マンホールも通れます!

 

 

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これはギャラリー内に道路を再現して作られたもの。室内にこの感じを再現しちゃうの凄いです。

 

こちらの展覧会は冷房が効いてないので涼しい日がおすすめです。

 

 

そんな東京アートDAYでした♪

 

 

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私の世界14. Long time no see

 

父が亡くなって1年が経ちました。

 

先日、一周忌も無事に終わったところです。

 

 

 

父は亡くなってからもしばらく側に居てくれて、写真も教えてくれました。

 

 

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私はそんな霊体の父との交流を経て、やはり魂に終わりはないんだと確信しました。

 

そして死という一大イベントは、見えない存在たちがきちんとサポートしてくれているのだと。

 

生きている今だって、ひとりの人間に対してたくさんの存在がチームとなって一緒に生きているのです。

 

 

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父の旅立ちに関してまとめた「私の世界」シリーズにその辺りのことは書いてあるので、最初の記事だけ貼っておきます。

 

もう1年前か〜、早いですね。

 

 

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最終話で霊体の父とお別れしてからは、それっきり現れなくなってたんですが、一度だけ息子の運動会に来てくれたんです。

 

 

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運動会の最初の時間は、父の不在がより寂しく感じました。

いつもはりきって息子の写真を撮ってくれていたからです。

 

 

午前中の競技が終わって、 シートにアウトドア椅子を並べ、母や義両親みんなで座り、お弁当を食べ始めた時でした。

 

 

明らかに、父がいる。

 

 

このシートの中に一緒に座っている父をはっきりと感じました。

 

いる。来てくれてる。

 

 

その瞬間、バン!と母の椅子が割れて、母がシートに転がり落ちたのです。

 

小さなアウトドア用の折りたたみ椅子で、座るところがプラスチックでできているものなんですが、座っていたプラスチック部分が突然思いっきり割れたんです。

 

割れただけではなく、母が思いっきり尻もちをつく爆発感。

 

いきなりの謎な出来事に一瞬みんな戸惑いながらも、母は「やだ恥ずかしい〜」と笑い、義父も「ちょっと体重が重かったのかもなっw」と明るくフォローしてくれ、楽しい昼食に戻りました。

 

 

運動会が終わって家に帰ってから、お昼の時に父が来てくれてたことを夫に話したら、

 

「俺はあの椅子が割れた時に、お父さんだ!って思った」

 

と言っていました。

 

母に、思いっきり抱きついたんですかね?笑

 

 

以前書いたハレツするネックレスといい、エネルギーが噛み合いすぎるとモノって割れたりするんですよね。

 

 

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あの記事に寺嫁の友人が「新品のお数珠も割れることがあるよ」とコメントくれたのですが、やっぱりあるんですね。

 

 

 

 

今、父は遠くで何かを勉強している感じです。

 

 

 

変わっていく、変容していく。

 

生きていても、いなくても。

 

 

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脱皮

 

お久しぶりの更新となってしまいました。

 

6月に入ってから体調を崩し、アレルギーが悪化して寝込む日々でした。。

 

体は辛いし皮膚はただれ、体感以上に自分のビジュアルが辛かったです。

 

もうこんな皮膚なら今生の人生は終わっていいよ、来世は綺麗な白人でよろしく神様!

 

そんなことばかり考えていたら、ある夜、本当に死んだのです。

 

 

 

私の中にいる、醜い自分は受け入れたくない私が。

 

 

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ティンカーベルが飛んでいる夜でした。

 

 

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突如降りて来た天啓の内容はもう、あまり覚えていません。

 

けれど、私が手に入れた事実は、人生が変わってしまうものでした。

 

肌がボロボロでも、デブでもガリでもハゲでも出っ歯でも、世界は何も禁止なんかしてない。

 

 

ブスでもババアでも頭がイカレてても、世界は何も禁止なんかしてない。

 

 

ただ一人以外は。

 

そう、自分以外は。

 

 

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誰に何を言われても、自分が自分を守れていれば傷つくことがないのです。

 

 

逆にいくら褒めてもらっても、そこに同意しない限り、どの言葉も「宛先人不明」で送り主に虚しく戻って行くしかない。

 

全ては自分次第。

 

自分を傷つけることができるのは、宇宙で自分しかいないということ。

 

 

そのことが腹にストンと落ちたら、今までどれだけ自分が自分にダメ出しをしてきたのかよくわかってしまいました。

 

 

だからって手のひらを返すように「どんな状態でも生きてることに感謝!」とは思いません。

辛いものは辛いし、そもそも死んでからも素晴らしいはずだし。

 

けれど、「辛くてやだ」も含めて、そのままでOK!にしました。

 

 

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自分の嫌な姿は拒絶したくなるけど、嫌なものは嫌なまま、でも否定はしなくていい。

 

 

集合的無意識の影響もすごくあったと思います。

 

世の中の「美とはこういうもの!」というマーケティングとか、歳はとっても若くいるべき!みたいな世の中の想念が、もはや強迫観念となってこびりついていたのかもしれません。

 

無農薬で元気に育った野菜はいろんな形をしているのに、なぜスーパーで売られてる野菜のような姿を目指さなくてはいけないのか。

 

みんなちがってみんないいのに。

 

どれだけのプレッシャーを自分に与えていたのでしょうね。

 

 

 

翌日の朝日はこんなんでした!

 

 

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ピッカー!全て自分次第。なんて自由。

 

 

 

そうそう、いいお医者さんに出会えて今は回復しています。

 

けれど、私はこの体が面白いと思えてきました。

 

肉類のアレルギーだから野菜ばかり食べていたら、ものすごくよく絵が描けるコンディションになったし、

 

お医者さんには「炎天下の作業とか力仕事はしないでください」と言われたから、

 

涼しい部屋でのんびりしてていいんだもの。

 

 

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そしてもう、「美しさ」すらどうでもいいかなって。

 

外見的に可愛くありたい、美しくありたいって気持ちがもうほとんどないので非常に快適になりました。

 

 

 

 

全ては内側のことだから❤️

 

 

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面白くて心地よければ最高だね。

 

 

新月とタヌキ

 

大浄化の真っ最中に、庭に子ダヌキが迷い込んで来ました。

 

 

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タヌキってイヌ科なんだな〜と思わせる咆哮。音量。

 

でもめちゃくちゃ可愛いんです。まだちっちゃくて✨

 

 

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↑アポロは何もしてないですよw

 

 

夫に連絡してから、母は動物が好きだから見に来るかな?と思い、電話。

 

「子ダヌキが来ててさ〜、なんか庭でじっとしてるからとりあえず捕獲したんだけどさ、」

 

と言うと、口調が説教モードになり。。

 

要約すると、どんな病原菌を持ってるかわからないんだから気をつけなさい。

捕獲して山に逃がしに行くのは、あんたはいいことした気になるだろうけど、山の生態系が崩れることがある。

保健所に連絡して素人は手を出さないのが一番。

保健所で処分してもらうのが正しい行いだ。

 

 

「私が言ってること、わかるよね?」

 

 

そうだ。この人は正論しか言わない人だった。

母はいつだって、だいたい正しい。

だけど、そこに納めたくないものをいつも持て余して来た私はいつしか、大事なことは隠す娘になっていた。

 

 

「わかる。わかるけど、よく考えたい。」

 

 

ちょっと不穏な感じで電話は終わり、さてどうしたものかと考える。

 

まさかこの歳で、捨て猫を拾って帰って怒られるみたいな体験をするなんて。。

 

外のゲージに入った子ダヌキは動かず、もしかしたらどこか怪我をしていて朝まで生きていないかもしれない。そうだ、朝まで生きてたらどうすればいいか考えることにしよう。

 

夜中、キュイキュイ声がし始めたので見に行くと餌がなくなってる。

自力で山に帰ればいいなと思ったのでゲージの入り口は開けたままに。

 

でも夫が「ポン太」と命名

明け方くらいまで、庭で鳴き声と動き回る音がしていました。

 

 

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次の日、ゲージにいないのを見た息子が

 

「飼いたかったなぁ。ポン太ってつけたかったのに〜!」

 

DNAってすごい。同じあだ名を思いつくのね。

 

 

ポン太は一日中、姿は見せないものの庭をうろちょろしていました。

置いておいた餌もきれいになくなっていました。元気になったみたいです。

 

もうきっと自分で山に帰って行くなと思ったので、ほっときました。

 

 

夜、家族が寝静まったあとお風呂に入ってると、ポン太じゃないタヌキの声がするのです。こんな短期間にタヌキの声の聞き分けができるようになるなんてね。

 

もしかして、仲間かな?

 

でも、夜なので姿はわからず。

 

お風呂から出た私は、縁側で涼んでいました。

 

すると、野良猫が近づいて来ま... いや、タヌキだ!!大人のタヌキ!

 

1mの距離で、しばらく見つめ合う私とタヌキ。

 

ああ、これはポン太のお母さんだ。なんとなくそうわかりました。

 

そのタヌキはくるりと向きを変え、帰って行きました。

 

 挨拶に来てくれたのかな。

 

 

 

いなくなった子供を探しに、民家の庭まで来た母タヌキ。

 

どんな時も見守り、どんな場所にも助けに行く。

 

そうだよなあ。母親って、本心とは別に「正しいこと」を教えなきゃいけない生き物なんだよね。

 

 

次の日「ポン太はお母さんが迎えに来て帰って行きました」と母にラインすると、

 

「何それ(笑)また今度聞かせて」と返ってきました。

 

全部丸くおさまったかな?そして今宵は新月。今月はどんな新月なのかな〜とサイトを見ると、まさかの「母親との関係」がテーマに上がってるじゃないですか。

 

 

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matome.naver.jp

 

おもしろいなあ。そんなタヌキ事件でした。

 

 

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おやすみなさい🌛

 

レットゴー

 

夏至の記事を書いた次の日、ものすごい暗闇の中にいました。

 

夏至で開いたゲートからのエネルギー、光の量が凄すぎて、自分の中の闇が炙り出されてしまったようで。

 

光って、強すぎると闇が強調されちゃうんですよね。

何でも光で照らしゃいいってモンじゃなくて、用法容量を守るじゃないけど、

 

「癒し」って、適した時に適したエネルギーを受けて初めて成立するわけで。

 

 

ただでさえ地球は二元性の星なので、何でも極まれば反転してしまうんです。

 

しかし自分で調整できるものならいいのですが、相手は宇宙。自然。

オープン・ザ・ゲート待ったなし。強制浄化スタート。

 

 

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一言で言うならば、市内全域の女性たちの生理前の鬱がまとめてやって来た、みたいな感じです。

 

しかも手荒れは悪化、熱も出て、一日中熟睡し続けても、夜もこんこんと眠り続けました。

 

情緒不安定と思われるのを覚悟の上で書きますが、

 

「もうこの人生終わっても何とも思わないなー」

 

と、さらっと思えてしまうくらい闇に飲み込まれていて、体が求める食べ物は少量のフルーツと野菜だけ。

 

大晦日以来の大浄化。久々のbig waveでした。

 

 

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その大波に飲み込まれながら、思ったのです。

 

「この波は生命力が弱ってる人には耐えられないんじゃないか?」

 

 

真っ先に浮かんだのは小林麻央さんでした。

 

ゲートが開くタイミング、光が強まる時は、だいたい重病人や死に近い人は旅立ちます。満月の日にお産が増えるのと同じです。

 

そうなるとこれは私の闇が噴出しているのか、旅立とうとしている魂たちのエネルギーに共鳴しているだけなのか、はたまたその両方か。

 

検証する余裕もなく、寝込んだまま闇に耐えていました。

 

 

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翌朝起きると少しはマシになっていて、ニュースで麻央さんの訃報を知り、やっぱりそうだったんだな、と思いました。

 

だからと言うわけじゃないけど、何だかとても追悼の気持ちが湧いて、珍しくテレビをつけて海老蔵さんの会見も拝見しました。

 

 

私はその後も闇が続き、食生活はずっと野菜とフルーツのみ。

 

食べ物の体への負担が少ないので精神も徐々にラクになっていたのですが、

確かにあの晩、私の中でも誰かが死んだのです。

 

私の中にたくさんいるうちの、ひとりの私が。

 

 

何かが捨て去られ、どこか新しい私になっていました。

 

その新しい私は言いました。

 

「息をしているだけで、それだけで十分なんだよ。」

 

 

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0を、着飾ったり仕事をすることで5とか6に高めていく生き方

 

自己実現をして8までいくと愛される価値があると思えるような世界

 

そういうことじゃなくて、0は0のままで完璧な存在なんだと、新しい私は教えてくれました。

 

 

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テレビで麻央さんの綴った文章が紹介されていたのですが、

 

「家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、

私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。」

 

大きなメッセージだと思います。

 

そしてそれは家族にとどまらず、自分にも言ってあげられること。

 

どんな状態でも、花が花であることは変わらない。

 

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存在しているということは、それだけで全宇宙から祝福されている証拠。

 

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何かになろうとしなくていい。何にもしなくたっていい。

 

生き方が少し変わりそうな気がします。

 

 

麻央さんは、新たなる次元でも変わらず輝いて、たくさんの存在に囲まれ愛されているのを感じるので、ご冥福をお祈りすると共に、愛と感謝とエールを送りたいと思います。

 

ありがとうございました。