謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

脱皮

 

お久しぶりの更新となってしまいました。

 

6月に入ってから体調を崩し、アレルギーが悪化して寝込む日々でした。。

 

体は辛いし皮膚はただれ、体感以上に自分のビジュアルが辛かったです。

 

もうこんな皮膚なら今生の人生は終わっていいよ、来世は綺麗な白人でよろしく神様!

 

そんなことばかり考えていたら、ある夜、本当に死んだのです。

 

 

 

私の中にいる、醜い自分は受け入れたくない私が。

 

 

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ティンカーベルが飛んでいる夜でした。

 

 

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突如降りて来た天啓の内容はもう、あまり覚えていません。

 

けれど、私が手に入れた事実は、人生が変わってしまうものでした。

 

肌がボロボロでも、デブでもガリでもハゲでも出っ歯でも、世界は何も禁止なんかしてない。

 

 

ブスでもババアでも頭がイカレてても、世界は何も禁止なんかしてない。

 

 

ただ一人以外は。

 

そう、自分以外は。

 

 

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誰に何を言われても、自分が自分を守れていれば傷つくことがないのです。

 

 

逆にいくら褒めてもらっても、そこに同意しない限り、どの言葉も「宛先人不明」で送り主に虚しく戻って行くしかない。

 

全ては自分次第。

 

自分を傷つけることができるのは、宇宙で自分しかいないということ。

 

 

そのことが腹にストンと落ちたら、今までどれだけ自分が自分にダメ出しをしてきたのかよくわかってしまいました。

 

 

だからって手のひらを返すように「どんな状態でも生きてることに感謝!」とは思いません。

辛いものは辛いし、そもそも死んでからも素晴らしいはずだし。

 

けれど、「辛くてやだ」も含めて、そのままでOK!にしました。

 

 

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自分の嫌な姿は拒絶したくなるけど、嫌なものは嫌なまま、でも否定はしなくていい。

 

 

集合的無意識の影響もすごくあったと思います。

 

世の中の「美とはこういうもの!」というマーケティングとか、歳はとっても若くいるべき!みたいな世の中の想念が、もはや強迫観念となってこびりついていたのかもしれません。

 

無農薬で元気に育った野菜はいろんな形をしているのに、なぜスーパーで売られてる野菜のような姿を目指さなくてはいけないのか。

 

みんなちがってみんないいのに。

 

どれだけのプレッシャーを自分に与えていたのでしょうね。

 

 

 

翌日の朝日はこんなんでした!

 

 

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ピッカー!全て自分次第。なんて自由。

 

 

 

そうそう、いいお医者さんに出会えて今は回復しています。

 

けれど、私はこの体が面白いと思えてきました。

 

肉類のアレルギーだから野菜ばかり食べていたら、ものすごくよく絵が描けるコンディションになったし、

 

お医者さんには「炎天下の作業とか力仕事はしないでください」と言われたから、

 

涼しい部屋でのんびりしてていいんだもの。

 

 

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そしてもう、「美しさ」すらどうでもいいかなって。

 

外見的に可愛くありたい、美しくありたいって気持ちがもうほとんどないので非常に快適になりました。

 

 

 

 

全ては内側のことだから❤️

 

 

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面白くて心地よければ最高だね。