夏至の記事を書いた次の日、ものすごい暗闇の中にいました。
夏至で開いたゲートからのエネルギー、光の量が凄すぎて、自分の中の闇が炙り出されてしまったようで。
光って、強すぎると闇が強調されちゃうんですよね。
何でも光で照らしゃいいってモンじゃなくて、用法容量を守るじゃないけど、
「癒し」って、適した時に適したエネルギーを受けて初めて成立するわけで。
ただでさえ地球は二元性の星なので、何でも極まれば反転してしまうんです。
しかし自分で調整できるものならいいのですが、相手は宇宙。自然。
オープン・ザ・ゲート待ったなし。強制浄化スタート。
一言で言うならば、市内全域の女性たちの生理前の鬱がまとめてやって来た、みたいな感じです。
しかも手荒れは悪化、熱も出て、一日中熟睡し続けても、夜もこんこんと眠り続けました。
情緒不安定と思われるのを覚悟の上で書きますが、
「もうこの人生終わっても何とも思わないなー」
と、さらっと思えてしまうくらい闇に飲み込まれていて、体が求める食べ物は少量のフルーツと野菜だけ。
大晦日以来の大浄化。久々のbig waveでした。
その大波に飲み込まれながら、思ったのです。
「この波は生命力が弱ってる人には耐えられないんじゃないか?」
真っ先に浮かんだのは小林麻央さんでした。
ゲートが開くタイミング、光が強まる時は、だいたい重病人や死に近い人は旅立ちます。満月の日にお産が増えるのと同じです。
そうなるとこれは私の闇が噴出しているのか、旅立とうとしている魂たちのエネルギーに共鳴しているだけなのか、はたまたその両方か。
検証する余裕もなく、寝込んだまま闇に耐えていました。
翌朝起きると少しはマシになっていて、ニュースで麻央さんの訃報を知り、やっぱりそうだったんだな、と思いました。
だからと言うわけじゃないけど、何だかとても追悼の気持ちが湧いて、珍しくテレビをつけて海老蔵さんの会見も拝見しました。
私はその後も闇が続き、食生活はずっと野菜とフルーツのみ。
食べ物の体への負担が少ないので精神も徐々にラクになっていたのですが、
確かにあの晩、私の中でも誰かが死んだのです。
私の中にたくさんいるうちの、ひとりの私が。
何かが捨て去られ、どこか新しい私になっていました。
その新しい私は言いました。
「息をしているだけで、それだけで十分なんだよ。」
0を、着飾ったり仕事をすることで5とか6に高めていく生き方
自己実現をして8までいくと愛される価値があると思えるような世界
そういうことじゃなくて、0は0のままで完璧な存在なんだと、新しい私は教えてくれました。
テレビで麻央さんの綴った文章が紹介されていたのですが、
「家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。」
大きなメッセージだと思います。
そしてそれは家族にとどまらず、自分にも言ってあげられること。
どんな状態でも、花が花であることは変わらない。
存在しているということは、それだけで全宇宙から祝福されている証拠。
何かになろうとしなくていい。何にもしなくたっていい。
生き方が少し変わりそうな気がします。
麻央さんは、新たなる次元でも変わらず輝いて、たくさんの存在に囲まれ愛されているのを感じるので、ご冥福をお祈りすると共に、愛と感謝とエールを送りたいと思います。
ありがとうございました。