雨の日は、なぜだか子供の頃のことをよく思い出します。
祖母の部屋で絵を描いている光景や、お迎えを待つ保育園の窓に映る、うす暗い空。
この間、実家の裏のアパートが取り壊され更地になりました。
取り壊す前に、大家さんが近所の人たちに「ほしい植物があったら抜いて持って行って」と言っていたので、母も近所のおばさんも百合やスミレをもらっていました。
私が選んだのは、小判草とスミレと、黄色い花の咲く多肉っぽい植物。
何十年もそのアパートの草むらを見てきて、自然に植生が変わっていくことが面白く感じます。
植物たちは自然な力関係で繁殖したり、新しく登場したり。
私が子供時代を思い出す時、それぞれの場所にかつていた植物ばかり頭の中に浮かびます。
道の角にいたオシロイバナ、あの家のフェンスからはみ出ていたグミの木。
裏道を入っていくと陰鬱そうに立っていた名前の知らない大きな木。
友達のおばあちゃん家の庭の、江戸時代から生きているという大きな柿の木。
住宅街の真ん中にあった竹藪。
子供の頃の私は学校の波動が辛かったので、通学路のいろいろな植物から元気を分けてもらっていたんだな、と思います。
けれども、「彼ら」はいつもある日突然いなくなってしまいました。
植物と人間の関わりって難しいですね。
暮らしの中では、管理してあげなきゃいけない。
次々出てくる雑草も毎日のように抜かなきゃいけないし。(全然できてない)
宇宙人が外側から地球を見ると、人間が米や小麦に「支配」されているように見えると聞いたことがあります。
確かに、世界中で米や小麦がない生活は成り立たない。
「小麦抜き」をしている今、これまで本当に依存的に小麦を食べていたことに気がつきました。
定期的に「そろそろ小麦食べなきゃ」と体が少し焦ってくる感覚。
人はそれを好物とも呼びますが、確かに支配されているとも言えます。
謎の文書「ヴォイニッチ手稿」はその辺りのことが書かれているのかもしれません。
なかなか梅雨も明けないことだし、たまにはスピリチュアルじゃなくてオカルトに触れてみるのも面白いですよ。
おかげさまで7月分の対面セッション満員御礼となりました。
遠隔でしたらまだもう少しお受けできると思います。
8月も引き続きよろしくお願いいたします。
米粉で焼いたケーキが美味しかったので、小麦がなくてもなんとかなりそうです。
息子が12歳になりました✨