ふゆる時
庭の山茶花を一輪摘むと、蔓がリボンの形に巻かれていました。
こういう時、妖精や小人の存在を感じずにはいられません。
これはお友達の家の薔薇。顔になっているのがわかりますか?
ディズニーのおじさんみたいな表情です。
その下の方に、、
誰かいましたね。
さて、12月22日は冬至ですが、2018年ラストを飾るビッグ・ゲートは勢いが強すぎるため、もう徐々に開いているようです。
今回は良くも悪くも「出力が最大になる」感じで、控えめに言っても驚きの展開が巻き起こっていく可能性があります。
あまり詳しくは知らないですが、M-1の審査員への暴言とかその後の感じとか、ちょっとゲートのエネルギーに悪い意味でうまく乗っちゃったような感じを受けます。
ここでは「最終確認」や「卒業試験」のような出来事も起こりやすいのですが、その規模は個人で完結せず、私たちの魂がグループワークをしているのだと実感できるような相互作用もありそうです。
縁ある人との結びつきも如実に現れていくでしょうし、そのための崩壊もまた起こるべくして起こるかもしれません。
でも怖がることはないので安心してください。
あなたが本当に求めたもの、あなたの魂が本当に望んだものしかやってこないからです。(余計怖いって?w)
文字を持つ前の古代の日本人たちは、昼と夜がアンバランスになる夏至と冬至に、大きなゲートを感じました。
夏至には他界した者たちがこちらの世界に押し寄せてくるのを感じたので、丁重におもてなしをして、生きている者も肉体を持たない者もみんなで輪になって踊ったのです。
そう、盆踊りの原型ですね。
古代の日本人がまだ「神」という概念を持つ以前、それらの存在は「タマ」と捉えられていました。
タマは神と違って増えたり減ったりする流動的なものであり、何にも属せず、神のように特定の性格すら持ちませんでした。
(例えば太陽のエネルギーを強く表しているタマは天照大御神と名付けられ、神となります。)
明確な名前もなく変幻自在なタマ(精霊)は、古代の日本人たちには詩的に捉えられ表現されてきたのですが、文字を持つ頃にはもう考え方が近代のものに近くなっていたため、正確に読み解くことは難しくなっていたそうです。
見えないものを捉えるには自由でアーティスティックな感受性が必要だとずっと思っていた私は、とある本の一節に深く納得。
『見えないものを見えるようにするのが、芸術と宗教の本質』
芥川作品なんてまさにそれですね。
夏至と冬至には日本各地でお祭りが行われますが、盆踊りでぐるぐると渦を作る夏至に対し、冬至は少し違っています。
古代日本人は、冬の時期に精霊を増やしたり霊力の蓄えを行いました。
「ふゆ」は「ふゆる(増やす)」という言葉から来ているそうです。
狭いところにお籠りしてタマ(精霊)を増やす儀式をしていたので、増やしたタマを地面に浸透させていくためか、鬼の面をつけて地面を踏み鳴らして踊るお祭りが多いのです。
夏の渦のエネルギーと、冬の下へ向かうエネルギー。
面白いですね。
さらに仏教の考え方ではまた違っていて、昼と夜がアンバランスになる時に何かが起こると感じた古代人に対し、仏教では昼と夜がぴったり同じ長さに調和する春分と秋分に真理の世界への扉が開くと考えられました。
あらゆる極端なことを取り除いた後、不安も恐れも喜びも悲しみも静まり返った時に真理が自ずと現れてくる、という仏教らしい考え方です。
自分の感じたものをより深く理解したくて色々な本を読んでいますが、民俗学ひとつ取っても学者によって思想や解釈が違う部分もあり、面白いです。
今回のブログは、私がとても共感する民俗学者 折口信夫について解説された、中沢新一著「古代から来た未来人 折口信夫」より一部引用させていただきました。
この世界には様々な視点や価値観が並行して存在しているので、まだ誰も知らない「ゲート」が実はたくさんあるのだと思います。
例えば、毎日が誰かの誕生日。これもゲートです。
誕生日の前後2週間くらいは一年間の確認作業や切り替えが起こるので、少ししんどい気持ちになったりすることもしばしば。
夜明け前は一番闇が濃いのでしょうね。
でも、必ず朝はやってくるので!
2018年あと少し、元気に駆け抜けていきたいものですね。