こたつチャネリング
高尚な魂への「なり方」を探すのではなく
「在り方」を探す
それはようやく身につけるものではなく
初めから備わっていることに気づくだけ
それを知るだけでいい
こたつでうとうとしてると、そんな言葉が聴こえてきました。
ギフトの現象学ですね。
「ギフトとは、すでに与えられていることに気づくこと。」
私にはずっと使っているノートがあって、そこには、降りてきた言葉や聴こえたメッセージ、チャネリングしたやり取りなどメモしています。
通称エンジェルノート。
強く心に響いたエンジェルナンバーなんかも書いてるので、ちょっとした辞書?みたいになっています笑
使い込んでいるからページが取れたりし始めているのですが、見事なまでに、もう必要じゃないメッセージのページから取れていってます。
さて、エンジェルノートを始めた頃から知りたかったことが、最近ようやくわかったのです。
ずっと知りたくて、悩んだり、心乱されたりしながら、向き合ってきたようなこと。
それを知れてから、ある日ふとエンジェルノートが気になって、最初の方から読んでみました。
すると驚くことに、3ページ目に、今回私がようやく知れた「答え」が書いてあるのです。
ずっと知りたかった答えが。そこに。
書いた記憶はあります。
何度か読み返した記憶も、そもそもチャネリングした記憶もあるのに、その時の私にはそれがただの散文であり、答えではなかった。
なぜか。
それは、
受け入れたくない答えだったから。
そこに愛を見出せる心ではなかったから。
それが救いの姿だと理解できないほど、目の前のものしか見えていなかったから。
一周まわって、スタート地点に置いてあった答え。
でも、一周まわった経験がないと、その石が探していた宝石だと気づくことはできなかった。
人生はつまり、そういうことなんだと思う。
まるでアルケミストのようなお話。
そしてさらに何周もすると、もっとたくさんの気づきとともに、懐かしくも新しいものに出会えるのかもしれません。
おまけ。
私のアトリエ兼、タロットセッションルーム兼、食事も昼寝もチャネリングもできるエクストリームこたつ♡