おばあさんの変貌ぶりにただならぬものを感じ、私たちは立ち尽くしていました。
「もしも亡くなっているのなら、お墓は××寺だと思う」
女性が口を開きました。ここから車ですぐのお寺のようです。
小さな商店でお饅頭とお酒を買い、早速そのお寺へ向かいました。
なぜ神社があんなに淀んで、嫌なエネルギーが吹き溜まっていたのか、お寺に着いてみてよくわかりました。
わりと大きなお寺なんですが、雑草は伸び放題で、道に落ち葉は溜まり、とにかく管理されていないのです。廃寺というわけでもなく、ちょっと手をかけたら見違えるようになりそうなお寺なのに...。
もっと正確に言うなら、1〜2年前まではとても立派なお寺だったんじゃないか、そういう感じです。
放置されて結界のようなものがなくなり、見えないもの達はあの神社に流れて行ったのかもしれません。
私たちは墓地の中を進みます。導かれるように、行くべき場所がわかるのです。
まわりを見渡すと、いくつかの墓石からふわっと白い煙のように人型のものが出て来るのが見えました。不思議と怖くはありませんでした。使命感で、それどころじゃなかったのかもしれません。
その墓石を見つけた時、私はとても悲しくなりました。
同時に「ああ、これなんだ」と納得したのです。
それはとても小さく、道端のお地蔵さんのようにさりげなく、茂みの中に佇んでいました。区画ごとに墓石が立ち並ぶ中、その墓石は区画の中にも入っていません。
草むらの中、いくつか並ぶ小さな墓石の一番端に、上半分がぐずぐずに崩れた状態で、そこにあったのです。
私たちは崩れたところを出来る限り直し、お水をやさしくかけ、お饅頭とお酒をお供えし、お線香に火をつけて墓石の前に手向けました。
その瞬間、私の目の前で、泣きながら喜んで成仏していくその人の姿がはっきりと見えたのです。
これでもう、きっと大丈夫。
女性とお友達も少し見えたようで、何だか感動していました。
これで一件落着と言いたいところなんですが、実は他のお墓から出て来た霊たちが、我も我もとついて来てしまい、その晩私は寝込んでしまいました。
でも悪質なものはいなかったので、翌日には元気になりました。
これで「一度だけ除霊した話」はおしまいなんですが、この一日の旅の間、女性のお友達とふたりきりになると、
「女性は信用できない人間だから気をつけた方がいい」
と何度も言われました。
そして女性とふたりきりになると、
「お友達は信用できない人間だから気をつけた方がいい」
と何度も言われるのです。3人でいる時は、ふたりはとても仲がいいのに。
やっぱり人間が一番怖いですね。