今日は息子に宿題をやらせつつ、本を読みながらのんびり過ごしました。
やっぱりドリーン・バーチューさんの本はおもしろい。
彼女の本の大半は、バーチューさんではなく、彼女がチャネリングした天使たちの言葉が書かれています。
私も子供の頃から天使に話しかけられたり、いろいろなものと遭遇してきましたが、こういう本を読むと自分の中で体験に辻褄が合ったり、言葉にできなかったところが言語化されていたりするので、理解が深まってとても助かっています。
天使に語りかけると、天使はその人が理解しやすい姿で現れてくれる。
その一文を読んで、今までずっと不思議だったある体験がようやく腑に落ちたのです。
それは、低学年くらいの頃だったと思うのですが、家の裏に空き地があって、そこがお気に入りだった私は姉と一緒によく基地を作ったりして遊んでいました。
その日は姉が家で何かやっていたので、ひとりで先に空き地へ。
空き地全体が見渡せるブロック塀に座り、向こうから姉が来るのを待っていました。
空き地は元々民家が建っていた場所なので、所々にコンクリの基礎が残っていたり、空き地を囲むように生け垣が生えていました。
道の向こうを歩く人は、生け垣があるのでよく見えません。
その時も、小さな何かが歩いてるのは生け垣の隙間から見えたのですが、それが何なのかわからず、じっと目を凝らしていました。
その「何か」は私から見て右から左へまっすぐ歩いていたので、もうすぐ生け垣が何もないところへ差しかかります。
本当になんだろう?
怖くもなく、普通にじーっと目で追っていた私は、次の瞬間自分の目を疑いました。
まるで小トトロのようにトコトコ通り過ぎたそれは、数日前に私が絵に描いた「猫のような天使」だったのです。
自分が描いた架空のものが、現実世界を歩いている...!!?
いくら何でもすごい衝撃です。
数々の「あれはなんだったんだろう体験」の上位にランクインするこのメルヘン事件が、今日の午後、バーチューさんの本を読んでようやく理解できたのです。
「天使は、その人が理解しやすい姿で現れてくれる。」
天使がいわゆる西洋の天使の姿で出て来ることが多いのは、人々が想像しやすいからだそうで、もしも西洋の天使が怖いと感じる人なら、光として現れたりする、と。
つまり、当時の私が一番怖くない姿で現れてくれたということなのかと、何十年も経った今、ようやくわかりました。
私は感慨深い思いで再び本を読みながら時々瞑想したり、心の中で天使に話しかけたりしていると、急に窓から西日が射して来ました。
何だか呼ばれている気がして、カメラを手に取りました。
「天使は光として現れたりもする」
さっきまで曇っていたのに、縁側がサンルームのようです。
三角のきれいな光!
カラフルな光。
赤い火の玉のような光。
ほんの数分間の光のショーでした。
天使は、語りかけると姿を現してくれるのです。
今日もありがとう。