謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

片付けること、片付けられないこと

 

 

工作教室で小学校に行った時、図工の先生に呼び止められ、

 

「今度の展覧会に地域の方の作品枠で何か出品していただけないですかー?」

 

とお誘いいただきました。

 

息子の在学中は保護者枠で参加させてもらってたのですが(皆さん面白い作品作るんですよ)卒業しても参加させてもらえるなんて、嬉し恥ずかしな気分です。

 

展覧会のテーマは決まってるので、何作ろうかな〜と考えながら、昨日は大掃除と庭木の剪定(というか伐採レベル)をしていました。

 

大掃除は脱衣所と洗濯機を重点的に。

 

庭木は木が育って日当たりの悪くなっているところをたくさん切ったら、ちゃんと下の植物に陽が当たるようになったし、風通しが良くなりました。

 

 

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日差しの量が増えました!(当社比)

 

 

 

庭の風通しがいいって大事ですね〜。冬は寒いけど。

 

そんな感じで一日中 家のことをせっせとやり、夕方から温泉に行って酷使した体のケアを。

 

温泉にゆっくり浸かっていたら、徐々に頭の中にビジョンが浮かび...展覧会に出す作品の構想が見えてきたのですが

 

その内容は自分でも意外な方向性で、家や庭をあれだけ浄化しないとコレは出てこなかったな、というものでした。

 

 

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私の表層意識(自覚できる範囲)ではむしろその表現は「やりたくないこと」なんですけど、

 

掃除や剪定して心の曇りを取っていったら、出てきた深層意識の声が

 

「それやりたい」

 

と言ったんですよねぇ〜〜。なんてアマノジャクな私の気持ち!笑

 

 

いつもブログでもセッションでもお伝えしてることですが、やっぱり散らかってる場所や汚れているものって「かさぶた」なんですよね。

 

散らかってる状態って、心のバリケードを作ってる状態なんです。

 

物って「情報」なので、たくさんあると情報量が増えるから、自分の感覚を鈍らせることができるのです。

 

感じなくて済むように、気づかなくていいように、感覚を調整してるのだと思います。

 

だからこそ、それらと向き合える準備ができると自然と片付けられるようになるのですが、そこはあくまでも

 

「片付けられるようになった」のではなく「受け止められるようになった」のだと思います。

 

つまり、自分と向き合えるようになった合図なのでしょう。

 

もしも片付けられないことでご自分を責めているのなら、「今の私にはこのバリケードが必要なんだな」と思ってあげるといいですよ。だってそうなんだもの。

 

 

私たちは、片付けることを通しても、片付けられないことを通しても、自分を愛すことができます。

 

 

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