毎朝、お茶を飲みながら体が温まるまで足湯マシーンで足湯をしてるのですが
今朝は早々に夫は仕事へ行き、息子は起きてこないし猫たちは朝ごはんが済んで寝てるので、とても静かな時間を過ごしていました。
あまりにも静かで、窓から差し込む光がきれいだったので、ハートの瞑想をしてみました。
これを瞑想と呼ぶのかはわからないのですが、自分のハートに向かって「愛しているよ」というハートビームを向け続けるんです。
私の場合はポップでカラフルでポヨポヨしたハートがたくさん自分のハートへ連射されていくイメージ。
そんな感じでハートに「愛しているよ」のビームを満タンになるまで注いでいくだけなのですが
ある地点に達した時、自分の中にある「不安」が流れ始めたのです。
こびりついた油が熱湯でゆっくり溶けて動いていくみたいに。
日々クリアリングしているつもりだけど、この状況で不安を持っていないわけはないよね。
だけど、そこからさらに出てきたのは「つまんない」でした。
元々ひとりロックダウンな生活をしていて、買い出しは夫担当だし、私は本当に家から出ない日々を過ごしていたはずなのに
「もうやだ。つまんない」
という本音が現れたのです。
そこからさらにハートの感情を眺めていたら、今まで当たり前にしていた「みんなで集まる」とか「気軽にカフェに行く」とか「電車で好きなところに行く」とか
これまでの暮らしすべてが、実は光の世界に在ったのだ、と理解できたのです。
私たち人間は常に「良くなっていきたい」存在。
それはそもそも宇宙がそうだから備わっている意識なのですが
だけど「良くなっていきたい」と上を求める余り、実は今いるところがすでに光の楽園なのだという事実が見えていなかったのかもしれません。
インターネットが普及して、リアルで関わらなくてもオンラインで十分だね!と進化を喜ぶ私たちに
「だって、リアルで会わなくてもいいって言ったよね?」
と、このstay homeの現実を突きつけられている気がしました。
以前書いた「紙袋を嬉しそうに持ってる人を見ると泣きそうになる」あの宇宙人感覚を、久しぶりに強く感じます。
春休みといえば姉が子供たちを連れて帰ってきて、誕生日が一日違いの姉と私の誕生日会を実家でする。
あれはなんて光の世界の暮らしだったんだろう
好きなように街中を歩いて、気軽にどこのお店にも入れて、触るものもすべて安全で。
あれはなんて光の世界の暮らしだったんだろう
会いたい人に会いに行く
あれはなんて光の世界の暮らしだったんだろう
みんなが不安を抱えずに毎日仕事へ向かっていた
あれはなんて光の世界の暮らしだったんだろう
宇宙からすれば「あなたたちが望む世界を作ったのに、どうして気がつかないの?」
「どうして文句ばかりなの?」
そんな疑問が生まれたかもしれません。
「つまんない」からさらに出てきたのは、これまでの暮らしへの感謝の涙でした。
だから、今だって「これで済んでる」
ここは光の楽園なんだと思う。
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