個人的なトピックでは、本日息子が小学校を卒業しました。
春分の日のことや卒業式のこと、書きたいことはいくらでもあるのですが、突然のWiFiの故障によりパソコンが使えない
カメラで撮った写真も貼れない
スマホでぽちぽち記事を書くしかない
という状況で...。
しかもここ最近カードを引くといつも同じ
「内側に深く潜れ」のメッセージ。
春分の日からの牡羊座満月からの さらに誕生日の切り替え、かなり物質的にいろいろなものを「取り上げられて」います。
忙殺されてる夫に時間はないので、誕生日のお祝いもできない。
コロナの影響を考えるとあんまりお金を使う気にもなれない。
これはもう(第何十回目かの)受け入れるしかない祭り🤪🎊
強制的に内側に向かわされてちょっと泣きそうになったけど、現象に惑わされてはいけない。
今、何を見せられているんだろう?
私は何を知るべきなのか。
答えは、それがなくても「愛されてない」と思うな。
「それ」は人によってはお金だったり仕事だったりパートナーだったり他者からの理解だったりするかもしれませんが
それがなくても「愛されてない」と思うな。です。
うまくいかない時や寂しい時、お金や何かが足りないと思う時に人は「愛されてない」気持ちになるようです。
そう、まるで宇宙から見放されてしまったような。
だけど、そういう時こそこの世は「ミラー」なんだと気づくべきなんですね。
不足感は感謝の気持ちがない時に生まれるので、あって当然もらって当然と思うから「足りない。もっとくれ」になってしまう。
今マスクとかもそうですが、当たり前に手にできるものがないと不安やストレスに感じたりしますよね。
今までマスクが買えることに感謝したことなんてないくせに、本当に人間は勝手なもの。
実は、宇宙は私やあなたをどこまでも圧倒的に愛してくれているんです。
無条件の愛で。
無条件に、ただ完璧に愛してくれているので、必ずお金をくれるわけでも才能を授けてくれるわけでもないんです。
お金がないから宇宙から愛されてない
才能がないから宇宙の中で見放されてる
そう感じるのは自分が勝手に「条件付けの愛」を生きているだけなんだよ、と宇宙が言っています。
では、そんな時はどうしたらいいか?
ズバリ「与える」にシフトすること。
「もっとくれ」だと、いくら貰っても埋まらなかった心の隙間が
「与える」ことにシフトすると豊かな泉が溢れ出します。
それは自己犠牲ではなく、エネルギーの使い方。
欲しいなら、与えましょう。
与えることで、本当に欲しいものがもう手の中にあったことに気づけるんです。
それがなくても「愛されてない」と思うな。
それがないのは、貰うことばかり考えて与えることを忘れているせいだ。
それがないのは、与えることを知らない自分の姿が宇宙のミラーに映し出されているだけだから。