すべては「本当の意味で」良くなろうとしている。
日本人は丁寧であろうとするために多くの無駄なものを生み出してきました。
そこを「無駄」と一蹴してしまうのは少し乱暴かもしれませんが、丁寧さを追求した結果として、非常に無駄なものが生み出され、詰め込まれてきたわけです。
まるで断捨離前の部屋みたいだ、と感じるのですが、今ここでコロナによる社会的な危機を前に、あらゆる無駄がそぎ落とされていくことは喜ばしいことだと思います。
例えば卒業式や入学式の「来賓」の存在。
本当にお付き合いや関わりがある「来賓」なら、それはとても有意義な時間でしょう。
だけど、形式だけの「来賓」に、どれだけ意味があるのか。
普段関わり、見守っている子供たちの卒業式へ参列するのは感慨深いものかもしれないけど
面目や「近隣の学校で役についているから」という理由だけでその人の大切な時間を使ってきてしまった、というのがこれまでの在り方かもしれません。
「心」がこもっていないものに人の心は動きません。
来賓の祝辞や挨拶が長く退屈な時間に思えてしまうのは、そこに「形式」しかないからなんですよね。
もちろん、心を込めて参列している方がいるのは百も承知の上ですが、
極端な話、もしその来賓の方があと少ししか生きられないとしたら、どんな風に時間が使いたいと思うのか?ということなんです。
あと3日しか生きられないとしたら、そのうちの1日を形式だけの卒業式の参列に使うのでしょうか?
今起きているコロナ騒動は、そういう「時間の価値」を見直してください、というメッセージだと思っています。
本当に突きつけられないと大切なものだけを選べない世界だったのは、
礼儀や丁寧さを重んじる国だからなのですが、2020年、令和という時を迎えて
ようやく「時間」というものの価値が「見える」ようになった気がします。
というより見させられていますね。
だから、この非常事態で入学式や卒業式が子供と保護者だけの簡素なものになるのは当然のことだと思うし、
そのことを喜ばしい変化だと感じるのは、ようやくそれらの儀式が余計な「形式」を取っ払って
本当に価値がある人だけのものになれたから。
意味のないものに使っていい時間なんてないんです。
どうしても費やさないといけないなら、逆に本気になって意味や意義を見いだすことが必要。
貴重な時間をどれだけ有意義に過ごせるか。
あなたの持つ時間を、どれだけ大切に扱えるか。
「不要不急」の意味を味わい、自分の中の「不要不急」をよく考えてみる。
そんな新しい「常識」が生まれようとしているのではないかと、密かに希望の光を感じています。
今日卒業式だった皆様、おめでとうございます。
うちの息子の卒業式は来週です〜。
あなたの貴重な時間をこのブログに費やしていただけたことに感謝を。
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