謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

宇宙と繋がろうとする前に。 その3

  

双子の魂の概念ってあるじゃないですか。

 

双子の光とか双子の炎とか、魂の仲間とか。

 

 

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え?なんでカタカナ英語の通称で書かないかって?

 

あれらのワードは本当に危険だからです。

 

光が強すぎるものは、闇をも濃くします。

 

今やそれらのブログは闇の巣窟となっています。

 

 

前回の記事で動物霊・眷属は「本当に力を授けます」と書きましたが、

 

眷属にとり憑かれた一般のスピリチュアリストなんて可愛いくらい、これらを謳った商売をする人にとり憑くのは、もっともっとやばいやつです。

 

 

ここで大好きなサイキック友達との話をしてもいいですか?

 

あれらのワードに付随する想念がやばすぎて使いたくないので、私達は会話に出す時は適当に「石丸がさ〜」とか「石丸電気」とか呼ぶことで回避しています。

 

ただのJKノリみたいなものなので意味はないですwまじ卍的な。

 

実在の石丸電気さんとは何の関係もございません。本当に申し訳ありません。

 

www.youtube.com

 

 

石丸かどうかの判定とか、石丸同士を繋げるセッション、ワークショップなどなど色々ありますが、ほとんどがとり憑かれた方がやっている商売です。

 

上からメッセージを受け取り日本各地のパワースポットを巡ってワークショップしている方なんかは、完全に眷属のおもちゃになっています。

 

なぜそう言い切れるかと言うと、私の主観は抜きにしても、

 

本当に大切なことは必ず目の前の現実にあり、遠くのパワースポットに取りに行くようなものではないからです。

 

パワースポットは本来感謝をしたり自己を見つめる場所であって、願いを叶えてくれるわけではないし、

 

神様は「そこにおわす」ものであり、話しかけてきたり指示を出したりしません。

 

そういうことがあるとしたら、それは「それだけの器」がある人。

 

 

石丸に限らず、人生のレッスンは自分の足でしか進めないものであり、誰かのヒーリングやセッションは一時しのぎになっても解決できるものではないのです。

 

何より、結局それらの商売は解決どころか受けた人のエゴや我欲を肥大化させるだけで、本質と真逆に向かわせているのです。

 

現実的に時間もお金も見当違いの方向に使うことになります。

 

 

 

判定してもらいたい心の裏側には不安とエゴがあります。

 

それらがある以上、どんな判定を下されても不安が解消されることはありません。

 

あなたの不安はあなたが現実的に考え方を変えたり行動することでしか消せないからです。

 

 

本当に魂の繋がりがあるかどうかにこだわらなくなるのが本来の道であり、本当に石丸だった場合はえげつないほど宇宙が物質界で見せてくるので必ずわかります。

 

でもそれだって、あなたの人生の本流より大切なことではないんです。

 

どうか見失わないでください。

 

 

何度も言いますが、石丸関連にとり憑く眷属やもっとやばいやつは、とり憑いた人にものすごいサイキック力を授けます。

 

だから「石丸を商売にしよう、私になら扱える」と思うのでしょう。

 

その時点で絶対的に必要な「謙虚さ」からかけ離れるため、どんどん脱輪していき動物霊が近寄ってきます。

 

ブログなどはあれらのキーワードから苦悩に充ちた人々(の想念)が殺到するので、何もわかっていなければアクセス数がすごいことに喜んでしまうのでしょうね。

やっぱり石丸のこと書くとアクセス数すごーいなんて。それ全部おぞましい想念と我欲ですよ。

  

とり憑かれて高額セッションやらワークショップを開催しまくり、かなりの資産を得る方もいると思いますが、派手にやればやる程、派手に散っていくでしょう。

 

私は小物なので、ブログ上に単語を書くことすらできません。

 

 

 

宇宙って願いを叶えてくれる場所な気がしますよね。

 

なんたって宇宙は広いし、自分の力で行けない未知の領域。

 

でもこの世には宇宙の縮図が広がっている場所があって、本当はいつでも宇宙には行けるんです。

 

それが自分の体と目の前の世界。

 

 

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自分にとって大切なことほど目の前にあり、自分にとって必要な人ほどすぐ近くにいます。

 

人生のレッスンで必要な人から順に近くにいるので、そばにいて欲しい人が遠く離れたところにいる人は、その距離こそがレッスンに必要なのだとまずは理解して、距離が縮まるセッションなんかに時間も大金も使わないでほしいです。

 

基本、石丸商売人のほとんどがとり憑かれた人ですが、冷静に発信者の目を見ればわかると思いますよ。造形や美醜ではなく、瞳ね。

 

動画をあげている人なら声でわかると思います。

安心感に包まれて、ホッと力が抜けるような声はしていないはず。どこか体が緊張するような、愛とか言ってても冷たい針先のようなものが感じられると思います。

 

(私なりに食わず嫌いじゃなく色々検証したので。) 

 

 

前世はどこどこ星のなんちゃらですって言ってる方は世の中に一定数いるものですが、石丸商売人に関しては本当に宇宙規模のやばいやつに取り込まれているので、自撮り画像だけでもパンチがあります。

 

一度、寝る前に間違えてやばい石丸発信者の自撮りドアップをまんまと見てしまったのですが、その後寝たら久しぶりに金縛りに合いましたw

 

そのくらい「やばいやつ」は強烈。 

 

でっかいわぁ、でっかいわぁ、い!し!ま!る!なのです。

 

 

 

最後に人魚姫のことを書きます。

 

私は愛というものを語れるほど立派な人間ではありませんが、恋と愛の違いはわかります。

 

 

愛は与え、決して奪わないもの。

 

恋は相手の気持ちや時間を欲しいと思うもの。

 

 

人魚姫の絵本を読んでもらった時、子供の頃の私はやるせない気持ちになりました。

 

人魚姫が王子様を助けたのに、人間の体になるために声を失った人魚姫は真実を伝えられず、王子様はたまたま通りかかった別のお姫様が助けてくれたと勘違いして結婚してしまうんですよね。

 

人魚姫は姉たちに「王子様を殺せば人魚に戻れるナイフ」を渡され、王子様と奥さんが寝ているベッドに忍び寄ります。

 

そこで王子様が寝言で奥さんの名前を呟いてるのを聞き、人魚姫はナイフを捨てて海に飛び込み泡となりました。

 

 

これを「恋」の視点で見ると悔しいやら悲しいやら、納得がいかないでしょう。

 

でも「愛」の視点で見ると、幸せに眠る王子様を見て、この人が幸せになれてよかったと思えるはずです。

 

その人が幸せになれるのなら、相手は自分じゃなくてもいいんだから。

 

 

海に飛び込んで泡になったのは、人魚姫の執着やエゴなんじゃないでしょうか。

 

ザバアと海から上がった人魚はすっきりした顔で、南の島を目指します。

 

おしまい

 

 

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未完成の絵だけど載せちゃいました〜。