夢の中で、私は地下鉄のホームにいました。
ホームにはたくさん人がいて、なぜかディズニー帰りの人が多かったのを覚えています。
私の目の前には薄い緑色に輝く男の人が立っていて、デビッド・ボウイがさらに歳を取ったような顔で、ピーターパンみたいな服を着ていました。
白人ぽい顔立ちに、その皮膚も少し緑がかっていて、全体的に光っています。
その人は目の前に立っているのに私の方は見ないで、テレパシーで話しかけてきました。
「自分の内側を信頼して、内側へ入ってゆけ。
自己を深めなさい。答えはそこにある。」
名前を尋ねると「マハコハン」だと言いました。
アセンデッド・マスターのひとりです。
マスターのマスターであると聞いたことがあります。
目が覚めてすぐ、マハコハンを検索すると、オーラソーマのボトルが出てきました。
読んでみると、夢で言われたこととほぼ同じことが書かれていました。
さらにこのページからの抜粋ですが、
B062 Maha Chohan(マハコハン)-今週のボトル
外側のマスターを見るのではなく、直接自分の内側にマスターを見いだすこと
ハートの内側に深く問いかけたときに聞こえてくる声に耳を傾ける、というこ
とです。
そうしたときに、内なる教師、内なるマスターとつながることができるのです。
内側に教師を見いだしたときには、まわりのすべての状況、すべての人が教師
となるのです。
これはまさにそうで、以前、心ない人の言葉で傷ついた時に、最終的には
「この人の要素は自分にもあるんだ」
という発見に繋がったのです。
Aさんがした犯罪について、Bさん(心ない人)が擁護しながら被害者(私)を叩いていたわけなんですが、
別件でCさんがやらかしたことを、私は友達だから受け止めていたのです。
友達なので、受け止めたり、受け止めてもらったり支え合う関係ですが、
受け止めること、受け入れることは、必ずしも愛とは限らないと気づいたのです。
敢えて受け入れない愛、叱る愛、離れる愛、
そう、離れることが本当の意味で愛になることがある。
被害者を叩くような真似はしなくても、結果的に同じことしてないかな?
その時に初めて、Bさんはそれを「体現して見せてくれた」「教えてくれた」のだと思えたのです。
すべての人が教科書であり、教師だと思えた体験でした。
この間この記事をアップした時に
facebookに知らない方からのコメントがついて、伝えたいところがずれて伝わっちゃってるなーと言葉の表現の難しさを感じたのですが、それは私も自分の本筋とずれてたからなんです、書くスタンスが。あくまでも当社比ですが。
結局その方は今日書いた「相手は写し鏡だ」を言いたかっただけで、そう考えた方がいいよと言っていたんですね。
でもさらに奥にあったのは
「つらい気持ちを分かち合える場もほしい」だったのです。
で、その時、友人も難解なコメントをしてくれてw
見る人によっては何言ってるかわからない変な女の子だと思うのでしょうが、私はそこに「敢えてもっと意味がわからない書き込みをすることで助けようとしてくれている」意図がわかったので、温かい気持ちになりました。
「本質を見抜く」をテーマにした記事で巻き起こった、本質見抜きゲーム。
すべてが愛のアートでできている。
真ん中にイルカ♡
他の領域の気づきや解釈もあるので、それはまたの機会に書きたいと思います♪
この件について書き続けるのは根に持ってるからじゃないよw
学びが多い教材なだけです。そして私も完璧じゃない。向き合ったり、七転八倒を繰り返しながら自分の小ささと大きさを知っていく旅です。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。