謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

平成から令和へ

 

先日の天皇皇后両陛下による、天皇としての最後の武蔵野陵参拝の日。

 

 

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武蔵野陵は、地元の人には「多摩御陵」という名前の方が馴染みがあります。

 

近所で育った私は子供の頃から天皇という存在がとても身近で、たまたま御目にかかれることも多かったんです。

 

泥だらけで遊んだ公園帰りに信号待ちをしていた時、目の前をゆっくり左折した車にお忍びで参拝に来られていた雅子様が乗っていて素敵な笑顔で手を降ってくださった思い出もあったり、秋篠宮様も何度か拝見しています。

 

だから、こんなに「御目にかかりたい」と思ったのは初めてのことで。

 

この日、私は日の丸の旗を握りしめて現れるのを待っていました。

 

 

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天皇皇后両陛下を乗せた御車が近づいてくる頃には一般車両は立ち入り禁止になり、沿道で自転車に乗ってる人も降りて押しながら歩くように促されます。

 

道路から車がすべて消えて、そこが参道と成るのです。

 

 

その道路をみんなが食い入るように見つめて現れる時を待つのですが、旗を握りしめながらこれは何かのエネルギーに似ている、と思いました。

 

 

そうだ、皆既日食と似てる。

 

 

皆既日食が近づくと鳥も虫も鳴くのを止め、世界は無音になる。

 

徐々に気温が下がり、薄暗くなって風が吹いてくるのです。

 

 

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武蔵野陵

 

 

何もなくなった道路の横で人々は言葉少なになっていき...

 

同じような風が吹き始めたんです。

 

 

その御車は視界に入る前からすでに圧倒的なエネルギーを発し、

 

 

やはり天照大御神なのだと

 

 

思わずにはいられませんでした。

 

 

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今回はっきり御目にかかれたのは美智子皇后でした。

 

そのエネルギーからは、次元の違う清らかさと共に「覚悟」を感じました。

 

私には想像も及ばないレベルの、巨大な覚悟。

 

 

実際、美智子皇后が歩道側に座っているのは万が一天皇が射撃などされた時に身を呈して守るため。

 

いつそんなことが起きても慌てずに受け入れる覚悟で、窓から身を乗り出して笑顔で手を振っているのです。

 

 

その強さと美しさに、私たちは涙してしまうのかもしれません。

 

 

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平成が去り、令和の時代がやって来ます。

 

Rayは「光線」、強い光。

 

その強い光が和となる時代。

 

 

なぜそんなに強い光が必要なのでしょう。

 

なぜ強い光を和合させてさらに大きくしなければならないのでしょうか。

 

 

平成最後の今日が不思議な嵐だったのは、天照大御神がそのお役目を終えるからなのか、それとも。

 

 

 

 

そうそう、ブログを開設して3年経ったらしいです!

 

 

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読んでくださる方のおかげで3年目を迎えることができました。

 

ありがとうございます。

 

令和も引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

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