ここ3週間くらい、自分のクリーニングをしていました。
ホ・オポノポノです。
ご存知の方はたくさんいらっしゃると思いますが、知らない方のためにご説明しますね。
ホ・オポノポノの考え方は至ってシンプルで「すべての原因は自分の中にある」というもの。
嫌なことを言う人も、工事の騒音がうるさいのも、政治家の汚職も、幼児虐待のニュースも、海洋汚染も、
自分が見ている世界はすべて自分が作り出しているものだから、
すべて自分に責任がある。
そういう考え方です。受け入れられますか?笑
ホ・オポノポノのクリーニング方法は簡単で、自分に4つの言葉を言う(思う)だけ。
ごめんなさい。
許してください。
愛してます。
ありがとう。
感情を込めなくてもいいので、ただひたすら呟くか、頭の中で唱えます。
それを最近ずーーっとやっておりました。
ひどいニュースを聞く度、友達が体調崩したと聞いた時、
自分の体の痛みに、お友達の義父さんの手術に、さらに料理中や、
嬉しいことや楽しいことまで「自分の問題」としてクリーニングしました。
何かが軽くなって、玉ねぎの皮がむけるように自分がシンプルになっていくような...そんな感じ。
クリーニングが効いているのか、物事の展開もとても優しくなっています。
被災地などに天皇皇后両陛下が慰問に行かれる際は、
「天災が起きてしまったのは、私の毎日のお祈りが足りなかったのです。申し訳ない」
というお気持ちなのだと聞いたことがあります。
これはまさにホ・オポノポノと同じことですよね。
多摩御陵 参道沿いの森
以前「嫉妬には自覚を持つことで対処できる」と書きましたが、
「嫉妬は自分の魅力を自覚してなかった自分が生み出したもの」とも言えます。
世界を生み出しているのは自分なんだと認識して、自分の個性や魅力に責任を持って、自分を受け入れる。
嫉妬は自分が自分を受け入れてないこと、もしくは恵まれてることへの感謝を忘れてるよと、その人が教えてくれてるんですね。
ホ・オポノポノではそれすらも「ただの記憶が引き起こした現象」として自分を責めるまでもなくクリーニングしますが、
私はすべての人間関係は「魂の練習ドリル」のようなものだと思っています。
多摩御陵の池
つまり「もらう・もらわない問題」についていよいよ言及しますが、私の考えとしては
「そんなものは存在しない」
です。
自分の中にあった問題に反応してしまうだけだから、「もらってしまった」としたら、それは初めからここにあったもの。
実際、誰かのことを悪く言う時、実はその内容は「自覚してない自分の性質」なのです。
嫌でしょう〜〜?
さんざん否定して、ぶった斬って、こきおろしてるその相手は!
自分が気づいてないあなたの特徴を演じて教えてくれてるんですよ。
今日から誰の悪口も言えなくなりますよね。
あの人にセッションするともらいやすい、あの人に会うと疲れる、そうやって原因を外側に置き続けているとおそらく「もらうこと」は終わらないです。
ガードを上げること、適正料金で働くこと、換気やセージで浄化すること、切り替えること、それらも本当に大事なことなのですが
もしも誰かから「もらってしまった」「くらってしまった」と感じたら、
それはあなたがとても頑張っていて、無理を重ねて、疲れていらっしゃるのだと思います。
本当に頑張っているあなただから、「もらったもの」はネガティブな置き土産ではなく
「ゆっくり休んでほしいです」という愛あるメッセージなのだと思います。
世界がひっくり返りますね。
お疲れさまには温泉がイチオシです!
温泉に行く暇がなかったらお風呂に日本酒と塩を豪快に入れてください。
そしてホ・オポノポノもお試しください。