昨日の記事で、お子さんへの愛情を思い起こしていただくようなワークを書いたのにアレですが、うちは朝よくケンカになります。
ものすごい捨て台詞を吐き、走って逃げられました。
かわいそうだけど仕方ありません。
とにかくひと通り聞いてもらいました。
人に聞いてもらうって本当にありがたいことですよね。
腹が立っておさまらなかった気持ちがかなり落ち着きました。
落ち着いたら眠くなったので、こたつでしばしの昼寝を。
まだ自分癒し休暇中なのでご勘弁を。
こたつとヨギボーの組み合わせは底なし沼のよう。
起きると少しスッキリしていました。
お片づけの「こんまり」さんこと近藤麻理恵さんのドキュメンタリーが新着にあったので観てみることにしました。
今はアメリカに住んで活動されてるようで、様々な家族が暮らすアメリカンハウスを片付けていくシリーズもの。
本は読んだことがあったし、なんとなくピンときたのです。
そう言って家に祈りを捧げるこんまりさん。
一瞬で神聖な空気に変わります。
この回のご夫婦は一緒に祈りを捧げていました。
家はいつだって文句も言わずに私たちを守ってくれているんだ!
家に休みなんてない。トイレもお風呂も洗濯機も、休みなんてないのに文句も言わずに働いてくれているんだ。
椅子もテーブルも食器も服も
いつも寄り添ってくれているものなんだ。
そんなことに気づかなかったなんて。
なんて守られていたんだろう。
なんて愛されていたんだろう。
ただ居てくれることのありがたさ。
もの言わない物たちの優しさ。
ああ、なんて感謝がない生き方をしていたんだろう。
そして家への感謝で胸がいっぱいになった時、無性に片付けたい場所が脳裏に浮かんだのです。
今までずっと放置していた場所、キッチンのシンクの下。
他の場所は片付けても、ここだけは片付ける発想もなかった場所。
家への感謝が溢れたことで何かのスイッチが切り替わったようで、一気に片付けて磨き上げました。
写真は掃除後に梅酒と梅干しを置いたところですが。
beforeのひどさも撮っておけば良かったかな。とにかくきれいになりました。
昨日の記事への追記でもあるのですが、片付けられない状態や散らかった状態って、
「かさぶた」
と同じなんです。
それを剥がして(片付けて)しまったら、気づいてしまう「何か」があるんです。
向き合いたくない何か。今はまだ受け入れられない何か。
あるいは癒されてない古い傷かもしれません。
ものがなくなって気の通りが良くなると、感覚が冴えるからそういうものと対峙することになってしまうんですよね。
例えばうちの母は片付けの達人ですが、父が亡くなって一人暮らしになった時には
「スペースが広いと不安になるからなるべくものを置くようにしてた」
と言っていました。
ものを置くことで「かさぶた」を作っていたのです。
だから片付けられない人は、今は片付けなくてもいいのです!
私のシンク下も、何かのかさぶただったのかもしれませんね。
そろそろ自分癒し休暇を、終えられそうな気がします。
ちなみに朝の揉め事については家族会議を開き、息子との問題を話し合って朝揉めないで済むように解決策を出し合いました。
明日の朝はリラックスして過ごせるといいな。