父が亡くなって1年が経ちました。
先日、一周忌も無事に終わったところです。
父は亡くなってからもしばらく側に居てくれて、写真も教えてくれました。
私はそんな霊体の父との交流を経て、やはり魂に終わりはないんだと確信しました。
そして死という一大イベントは、見えない存在たちがきちんとサポートしてくれているのだと。
生きている今だって、ひとりの人間に対してたくさんの存在がチームとなって一緒に生きているのです。
父の旅立ちに関してまとめた「私の世界」シリーズにその辺りのことは書いてあるので、最初の記事だけ貼っておきます。
もう1年前か〜、早いですね。
最終話で霊体の父とお別れしてからは、それっきり現れなくなってたんですが、一度だけ息子の運動会に来てくれたんです。
運動会の最初の時間は、父の不在がより寂しく感じました。
いつもはりきって息子の写真を撮ってくれていたからです。
午前中の競技が終わって、 シートにアウトドア椅子を並べ、母や義両親みんなで座り、お弁当を食べ始めた時でした。
明らかに、父がいる。
このシートの中に一緒に座っている父をはっきりと感じました。
いる。来てくれてる。
その瞬間、バン!と母の椅子が割れて、母がシートに転がり落ちたのです。
小さなアウトドア用の折りたたみ椅子で、座るところがプラスチックでできているものなんですが、座っていたプラスチック部分が突然思いっきり割れたんです。
割れただけではなく、母が思いっきり尻もちをつく爆発感。
いきなりの謎な出来事に一瞬みんな戸惑いながらも、母は「やだ恥ずかしい〜」と笑い、義父も「ちょっと体重が重かったのかもなっw」と明るくフォローしてくれ、楽しい昼食に戻りました。
運動会が終わって家に帰ってから、お昼の時に父が来てくれてたことを夫に話したら、
「俺はあの椅子が割れた時に、お父さんだ!って思った」
と言っていました。
母に、思いっきり抱きついたんですかね?笑
以前書いたハレツするネックレスといい、エネルギーが噛み合いすぎるとモノって割れたりするんですよね。
あの記事に寺嫁の友人が「新品のお数珠も割れることがあるよ」とコメントくれたのですが、やっぱりあるんですね。
今、父は遠くで何かを勉強している感じです。
変わっていく、変容していく。
生きていても、いなくても。