謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

みんなの学校

 

この前やらせていただいたマタニティーアート「安産祈願 花曼荼羅

 

 

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無事に安産で元気な男の子が生まれたそうです✨

おめでとうございます✨

 

 

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今日は子供の学校関係について書いてみたいと思います。

 

ちょっと前になりますが、「みんなの学校」観てきました。

 


『みんなの学校』劇場予告篇

 

これは問題児も障碍児も健常児もみんな同じ教室で学ぶ小学校のドキュメンタリーです。

 

これを観て、私は自分が「自分の子供さえ快適ならそれでいい」と思っていた!と衝撃を受けました。

 

問題児のいない学校でよかった。つい、そう思ってしまうものだけど。

 

 

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確かに今はいいかもしれない。

でも、問題児や障碍児は年々増えているから、これからの子供達はもう

「どう共存していくのか」を学ぶべき時期に来ている。

 

そこを問題提起しているのが、この映画の本質じゃないでしょうか。

 

 

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排除とか隔離では抜本的な解決策にならない。

 

問題のない子は、問題のある子から何かを学べる可能性だって眠ってる。

 

そもそも理解の足りなさが、問題じゃないものを「問題」にしていることもある。

 

 

でもそこまで指導できる器がどの学校にもあるわけではなく、とても難しい問題だからこそ、この「大空小学校」のドキュメンタリーが注目されているわけで。

 

 

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学校にも学校の事情があり、例えば2020年度から始まる新学習指導要領により、授業日数を35時間も増やさないといけない。

 

これ、どういうことかと言うと単純に夏休みが減るとかじゃないんです。

 

ただでさえギチギチなところにそれだけ増やさなきゃいけないんだから、学校によっては音楽会や学芸会がなくなる可能性もゼロじゃないんですよ。

 

行事の準備や指導にも「授業扱いになるかどうか」の規定があるので、日本の古典芸能である能や落語なら授業扱いになるけど、ただ歌ったり劇をするだけじゃ規定をクリアできないから、教師にとって「コマ食い虫」になるらしく。

 

運動会のリレーや100m走の指導も規定をクリアしていないから、教師にとってはお荷物になるそうで、

リレーと100m走が、運動会から消えてなくなる可能性があるわけです。

 

 

個人的にはもう土曜日の午前授業を復活させた方がいいんじゃないかと思うけど、それはそれで「土曜日の子供の習い事」で、かなりの日本経済が回ってるから今更返上できないのが実情。

 

そうなってくると、学校側はもうひとコマでも多く確保したい。

 

そこに、近年のモンスターペアレント問題やら、PTAやりたくない保護者の勢力やらが絡み合い、ひとつの「案」が登場するわけです。

 

 

「PTA制度、もう廃止してよくね?」

 

 

PTAの行事枠すら、授業日数として確保したい学校も出てくるかもしれません。

 

イムリーにも、ネットのコラムやニュースで、PTAは任意だからやらなくていいみたいな記事もよく見かけます。

 

 

でも、PTAがなくなった場合のこと、反対してる人はどこまで考えてるのかな?

 

 

PTAがなくなった場合、例えば卒業式の後の謝恩会ですら、誰もやろうとしなければ開催されないわけです。やりたいなら自分たちで全部設定しなきゃいけなくなり、その都度、全員で集まって予算を決めたり、意見をまとめたり、お金を集めたりするわけですよね。

 

今までは「面倒だからPTAに押し付けていた仕事」を、逆にやるハメになるって気づいてるのかな。笑

 

運動会の後片付けなんかも、手伝うPTAがいないなら「保護者全員参加」が義務づけられたりするかもしれないわけです。

 

そもそも学校行事以外の親子で参加できるようなイベントは基本的にPTAが主催なので、そういう楽しめる行事も消えます。

 

授業日数の都合で学芸会や音楽会もなくなり、運動会に行ってもリレーはなく、必ず片付けをしなければ帰れない立場になる。

 

親同士の横の繋がりもなく、誰がどの子の親かもわからない。

 

親同士の面識がないと、子供同士のトラブルも複雑になる。

 

先生との連携もなくなるから、学校との一体感もなくて全てが不透明。

 

防犯や安全に関しての安心感は、完全に消える。

 

それが保護者にとってPTAがなくなるということです。

 

 

 

 

では学校にとってPTAがなくなるとどうなるかというと、

 

ほぼ100%「父母の会」が立ち上がるでしょうね。

 

PTA (parent‐teacher association)から「T」が抜けたparent associationになるわけです。

 

これはもはや、ただの対立組織ではないでしょうか。笑

 

今までは学校との連携を軸に動いてたのが、もうひたすら保護者による要望の押し付けでしかなくなる。

 

今だって地域密着の学校はいろんなところから意見が飛んで来て大変なんでしょうけど、モンペや、「PTAなんてダッリー」とか言ってる人達って、要望だけはすごそうですけどね。学級崩壊以前に、学校崩壊しちゃいそう。

 

保護者の勢力が強くなりすぎてダメになった幼稚園とか実際ありますからね。

 

あと予算。これまでPTA会費から賄っていたものが全部学校にのしかかるわけだから、結構、地味に大変じゃないかな。

 

 

だから、落とし所として、PTAってちょうどいい組織だと思うんですけど、いかがでしょうかねえ。

 

子供だけのためじゃない、みんなの学校なんだから。

 

 

 

それが1年間本部役員をやってみた、私の感想です。

 

宇宙人だってPTAをやる時代なのさbaby

 

 

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学校も宇宙だ!

 

 

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花の種類は、多い方が美しい。

 

みんな自由に咲けたらいいね。