大晦日にカップラーメンをすすりながら「本質を見抜け」のメッセージを受け取っていた、ちょうどその頃、熱いMCバトルが繰り広げられていたようです。
MCバトルとは
日本のMCバトルの大会においてはDJが流すビートに、MC同士が小節ごとに即興の歌詞を用いてフリースタイルのラップをし、お互いのスキルを競い合う。
勝敗は即興性、内容、ディス、韻、フロウなどを総合して判定される。相手から言われたことに対してアンサーがちゃんと返せているかもバトルにおいて重視される。(wikipediaより)
このバトルがまさに「本質を見抜け」を体現してるんです。
数分なので良かったら観てみてください。2:15あたりから始まります。
SIMON JAP VS GADORO
私は特にどちらかのファンではありません。
こういうマウンティングみたいなことってどんな世界にでもあるものですが、なぜあれだけ押してたSIMON JAPが負けたのか。
私の勝手な評論ですが、
SIMON JAPは世界観で勝とうとした
GADOROは自分の内側にあるもので勝負した
そこに尽きるかなと思うのです。
SIMON JAPはギャングスターオラオラスタイルの雰囲気で場を支配しようとしましたが、雰囲気だけではGADOROの本質までは支配できなかった。
世界観はあくまでも世界観であり、その人そのものではありません。
「まとっているだけのもの」の前に「本質」を持ち出したら、それが如何に前者より劣って見えるものでも、生きたエネルギーは作り物を凌駕するのでしょう。
その生きたエネルギー、本質、つまり「自分の言葉」が語られた瞬間、支配していたSIMON JAPはハリボテに変わった。
オンリーワンが勝った瞬間。
オリジナルの勝利。
もうひとつ思うのは、愛すべきものを前に、どれだけ自分を捧げられたか。
愛すべきもの(ラップ)に対して、そのステージに対して。
気負いや迫力だけに頼らず、SIMON JAPが自分の中にあるすべての感情(ブランクがあること、家庭を持った自分、若い奴にナメられたくない気持ち、もう一度返り咲きたい想いなどなど)
を味わい尽くして吐き出したなら、きっともっと深みが出たのではないかと。
相手のGADOROは自分のダメさを味わい尽くした結果「クズ」という音源に消化してるわけだから、ちゃんと自分の底を見てる。
自分の底を見てる相手にオラオラと雰囲気で押し通そうとしても通用しなかった、そういうことだと思います。
そういうわけで、とにかくこれは素晴らしい試合だった!
MCバトル大好きです。
あらゆる世界にマウンティングって存在すると思うのですが、そこから抜けるヒントがあるなと感じたのは鎮座DOPENESS VS 呂布カルマのバトル。
個人的に、MCバトルの世界でひとりだけ異次元にいると思う鎮座DOPENESS。
言葉が降りてくる場所が違うんですよねえ。
完全にシャーマン。
この動画の一番最初のバトルに、マウンティングから抜け出すヒントがあります。
俺が上だ、いやその上に俺がいる、俺の方がさらに上にいるんだ、
それをやってると永遠に終わらないロケット鉛筆になってケツを掘り合うだけという
不毛な戦いだってことw
誰かと比べて上に行こうとするよりも、ひたすら自分にしかないスーパーオリジナルを大切に磨くのが一番♡
ということですね( ´∀`)
上を目指すのではなく、どこまで下に掘り下げられるか。
上を目指す時代から、下に掘り下げる時代にシフトし始めてますよね。
自分の腹の底。自分が立つ、足の下にある世界。
個の真価。底からの爆発。
これまでまとってきたものを、どれだけ脱ぎ捨てられるのか。
きっとこれからの時代は、それぞれの持つ「まだ見ぬお宝」がざくざく出てくるのだと思います。
新時代到来✨
まあ私が勝手にあーだこーだ言ってるだけなんですけどねw