花が、あまりにもきれいに咲いているので、写真を撮りました。
いいね〜 きれいだね〜 と声をかけながら撮っていると、湯気のように光がゆらゆらしているのが見えます。
写るかな?
撮ってみると、湯気のようには写らず、オーブの形で現れました。
話しかけていると、きれいだねって言われてるのが嬉しいみたいで
とても美しい光をたくさん見せてくれました。
ありがとうね。
ちょっと前になりますが、犯罪行為の被害に合いました。
そのことで最近、犯人を擁護するひとに
「そんなこといちいち気にするのは、自立できない専業主婦だから」
と、追い打ちをかけられて本当に悲しい想いをしたのですが、私は怒ると鬼になってしまうらしいので、感情をコントロールしなきゃいけないのです。
誰かを憎むことは、自分で毒薬を飲むことと同じだから
感情の発散方法は、祈ることしかできませんでした。
目を閉じると、私のまわりにはたくさんの天使が飛んでいるのがわかりました。
平常心にもどれるようにサポートを願うと、ものすごく大きな、頼もしさそのもののような女性の大天使が現れ、その瞬間に私は無条件に心からホッとすることができたのです。
ああ、ここからもう私は大丈夫だ。
その大天使は、女神アテナだと名前を教えてくれました。
悪意や心ないことに、ふりまわされないためにはどうしたらいいか。
それは、そのドラマのカラクリに気づき、役を降りればいい。
そんな結論に達したので、書きたいと思います。
笑い飛ばすことは、自分の感情をなかったことにしている
怒って言い返せば、相手の術中にはまってしまう
皮肉って小馬鹿にするのも攻撃の一種
人を嫌いになって引きこもるのは、解決にならない
ひとつひとつパーツを解して、そのドラマに隠されたものを探す。
心ないことを言う人のおなかには、コンプレックスが入っている。
それは、その人の抱えてきた痛み。
走っていて転んだ時に、心配されたり、励まされて育った人は、誰かが転んだ時に同じようにしてあげられる。
逆に、早く立てと言われたり、そんなのたいしたことじゃないと言われて育つと、救われないまま育って、転んだ人が労られてる場面を見ると「大げさだな」と思い、あの時の自分の痛みが心を刺激するからイライラしてしまう。
心ない人に心ないことを言われて傷つくのは、それはその人が抱えてきた痛みであって、
本当は自分が負うべき痛みじゃないんです。
自分の痛みじゃないのにまんまと傷ついてしまうから、「ドラマ」だと私は思うのです。
同情どころかディスられた、その事実には傷つきましたが、そもそも私はきちんと働いています。その言葉に該当しないのです。
「見当違いなことを言われただけ」
それが、相手のドラマを消し去ったあとに残ったシンプルな答えであり、私の心はもう、凪いだ海のような平穏を取り戻せました。
そこに来るまでに6時間くらいかかったけどw
アセンションしてから、本当に愛を体現できるかの確認試験が続いています。
「本当に、実践できてる?」
そんな揺さぶりやお試しが定期的にやってくるのです笑
枯れた花の美しさ
その美しさに気づくだけで、どれだけのことが解決するだろう