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謎はいつもそこに

子供の頃から自然に生活の中にまざっていた不自然なものたちのお話。

奔放な死生観

子供の頃から、ふいに「もうすぐ自分が死んでしまう」という予感に襲われることがありました。

その予感は確信に満ちて、自信満々に私を怖がらせます。

怖くて眠れない夜もありました。けれども、翌日にはきれいになくなっているのです。

その代わりみたいにポストへ届く、近所の方の訃報のお知らせ。

 

そう、近所の方が亡くなる時には必ず、自分が死んでしまう気がするんです。

 

ある程度大きくなるとそのことに気づき、「これは私が死ぬわけじゃない、誰かが亡くなる予感だ」と自分に言い聞かせられるようになりましたが、そのことに気づくまではいつも怖くてパニックになりました。(誰かに言ったことはないので、あくまでも自分の中だけのパニックですが)

 

だからなのか、昔から「死ぬとき」の感覚を知っている気がしています。

 

死の予知に関しては、予知夢も見ます。

例えば本人が出てきて、「私さあ、実はこういうことになっちゃったんだよね」と打ち明けられたことがあります。

すぐその人に連絡しましたが、全然元気でした。

それでも、そんなに長い時間を待たずに、夢で伝えてきたことが現実になってしまったのです。

 

細かくは書きませんが、私は自分ができることはやりました。

でも、夢でやってくる予知は「決定事項」なんです。

その上で、私には一体なにができるというのでしょう。

いつも、無力さに負けてしまいそうになります。負けませんが。

 

人の死を予知して、葬儀に行けば故人本人に天井から手を振られたりする。

病室に行けば、命が燃え尽きそうになっている人のまわりに天使みたいな存在がたくさんつめかけ、みんなで新しい始まりを祝福している。そこには死神的なものは一切なく、むしろ喜びに満ちたエネルギーがあふれているのです。

ある人の場合は、病院の入口から階段、病室まで、門番みたいな守護している存在がずらーっと並んで待機していました。

 

どうやら死というものは、ただ怖い、暗い、つらいだけのものではないようなのです。

 

私は宗教にも入っていないし精神世界のことも詳しくないので、これは持論というか私が感じただけのことですが、あらゆる物事に多面的な要素があるように、死もまた同じなのではないかと。

「死」は、あるいは別の次元で「誕生」を意味する可能性だってあるかもしれない。

 

そう思えるようになったので、無力さに負けないでいられるのです。

 

物理的にも、これは上野圭一著「ナチュラル・ハイ」からの引用ですが、

 

「専門家の計算によれば、わたしたちの一回の呼吸によって吸い込まれた空気の中には、過去2〜3週間のうちに他の人たちによって呼吸された10の15乗個の原子と、これまで地上に生きていたあらゆる人たちによって呼吸された100万個以上の原子が含まれているということです。

クレオパトラ楊貴妃ソクラテス老子、亡くなった祖母や父親が呼吸した息の材料の一部を、いまあなたが呼吸しているということです。

 

例えば私たちは握手するだけでも何千という手の皮膚細胞のかけらが空中に飛び散り、知らずにそれを吸って生きているのです。その現実に気づくとき、「わたし」という存在の境界がにわかにあいまいになってきます。

「わたし」とは、どこからどこまでのことをいうのでしょうか?」

 

引用終わり。これ、結構すごくないですか?おすすめの一冊です。

 

あの人も、私も、あなたも。

すべての人が「物理的にこの世から完全に消滅する」ということはあり得ない事実。

肉体がなくなったらもう会えないのか。それも違うと思います。

必ず「また会えた」という瞬間が来ます。

肉体的には会えなくても、そこかしこに存在していることに「気づく」だけで、いつでも会えるのです。ほんとうに。

 

だからって悲しくないわけでも、寂しくないわけでもないのですが。

 

いろいろ見えてつらい時もありますが、この前こんなことがありました。

友人と飲みに行った帰りに、いい気分でお店の階段を降りながら、前を歩く友人の横に彼女の犬が歩いてるのが見えたのです。

酔っていたし、よくわからなくて

「あれ〜、○○って死んじゃったんだっけ?」と言うと、

「そうだよ〜忘れないでよw」と言われ、

「ああ!だから今こんなとこにいるのか〜。生きてたら入店断られるよねw」

「え!なに○○いるの!?超うれしい!」

 

友人はすごく喜んでくれたので、こういう力も無駄ではないなと思ったのでした。

 

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 illustration by funcy-qutton 『野良猫に捧ぐ』